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断片 何かを待っているんだろうか?

 ボーっとしていて、例えば音楽を流して部屋で座ってるような時間、本棚を見てたりメモ帳になんか書いたり、思い出したり考えたり、こういうほぼ何もしていないとき、私は何かを待っているのかもしれない。世界の終わりを待っている、なんていうとミッシェルっぽくなっちゃってかっこよすぎるから、他のものを待っているとしよう。何もしないでいて、ただ待っていて、そうして何が起きたりやってきたりするもんであろうか。時間は過ぎていく。つまりは命のタイムリミットが近づいてくる。そんな危機において待っているものって何。だいじょうぶなのか私は。なんかしなさいよって思ってもたいして動きやしない。グダグダと書いたが、ひとことでまとめよう。これが怠け者だ。

 承前。村上龍はいった。どうしようもないギリギリの怠け者のために神が最後に用意した職業が作家である、だいたいそういういい回しでいってた。逆の意見もある。作家は怠け者には向かない仕事だと、こちらは誰だったか、クーンツかな、いってましたねえ。結局作家という仕事はよくわからない。メチャ儲かる人もいるしカツカツの人もいるし、人気だったりとか消えていったりだとか、先生と呼ばれちゃうし、死んだら新聞に載るし、ネットではディスられるし、クソリプは飛んでくるし、税金は鬼畜のごとくとられるし。そんなのをやってみたい仕事として日々歩いてきてるような私であるが、なんだ、怠け者についてだっけか。これが売れっ子ならクソほど忙しいらしく、栄養ドリンク三本一気飲みの世界だと聞いている。怠けられんねそれは。ほどほどに忙しいくらいがありがたいかなあ。食えてちょっと遊べる程度。まずそんくらいを目指す。でっかいことを考えてもそれはまだ夢。

 承前。クリエイターは何もしないことを恐れなくていい。らしい。なんとなれば、何もしていないときにこそクリエイティビティが育つからだ。という。これは脳科学のほうではデフォルト・モード・ネットワークという用語でまとめられる現象で、脳が勝手に働いてくれるがゆえにひらめいたりなんだりする。そうだ。どれもこれも伝聞になるが仕方ない。どこかで読んだり聞いたりした話なのでこうなる。読んで知ってるのって大半は受け売りになるよね。それに対しては自分でつくった何かのほうがオリジナルらしきものだ。知る&つくるでやってみたい。多くを知りながら権力を持たないことは、人間の不幸のうちで最も忌まわしいものだ、と古代の誰かがいった。知っていようがいまいが何かつくればいい。つくるのは幸せよ。

 ゴルトベルク変奏曲をチェンバロで聴いた。これが作曲された時代はピアノがなかったはずで、チェンバロ、ハープシコード? などで弾かれるのが、当時の人たちが聴いていたゴルトベルクに近い。この曲はグレン・グールドのイメージがあまりに強く、いやそれは私にとってはの話だけれど、ともあれピアノもいいがチェンバロもこれ、まさに芸術の花開くバロックそのもの、そんなような音色に乗っかってちょっとタイムスリップよ。いまバッハが見えた気がした。ケツ振ってノリノリで楽譜書いてた。

 さて読まねばならぬものはある。四月ももう本当に終わっちまう段となり、間に合わせるためにガリガリ読み込もうのいまこのとき。なんだか時間の流れがおかしくてうまく合わせられなかったな。常日頃からガリ勉をしていなくては頭脳が鍛えられるはずもない。賢くなりたいですよ。そりゃそうですよ。でも賢いだけじゃダメで、優しくもあらねばなりません。そういうのを仁と呼んだんでしょう、古代中国の聖賢は。



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