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断片 枕上にひらめき

 さて日常生活に戻ってきてみて、あれこれの片づけもして、疲れたぜえっていって枕上の人になってみたらば、アイディアがばしばし出てきて困った。何しろ次回作の構想が芋づる式だった先ほどの私である。こう、まず作品が理想像としてできあがっているとする。ただそれがいったいなんなのか、どういうものなのかはわからない状態で、まだ正体不明の小説なのだった。そこへだんだんと輪郭が与えられていく。ひらめきによって形が見えてくる。あとはその形になるように書くだけである。がんばりましょう。驚いたことには、これ、三角関係の話なんじゃないかという発見で、そういうの書いてこなかったなあと思うものです。いい仕事をしよう。

 欲しいものは手に入れるべきかどうか問題。欲しいときはただ欲しい。だが手に入れると落ち着いてしまってありがたみを忘れる。いま手元にある何物かを、まあお気に入りのペンでも本でもCDでもなんでも、じ、と見てみれば、持ってなかったときの欲しさってやっぱりなかったりする。ただし所有している満足感はある。欲しさの終わりが満足感なのだが、さあ、欲しがっているのと手に入れたのと、どちらが白熱するか、心が躍るかって、難しくないだろうか。そうこう考えているのも、私は様々な沼にはまり込んできて、時折まだはまって沈んでしまうがゆえ、欲しいとは何か、物を持つとは何かということのふわふわした考えはいつもついて回るのだった。

 と、このあたりまで書いて眠ってしまったのだった。ちょいと疲れが出ていた。そんで春だもんだから眠りが心地よい。いくらでも寝れるんですけど。今日などは完全に春。桜もぼちぼち咲くでしょう。あと衣替えだな。コートをしまいこんでジャケットなど羽織って出かける季節だ。個人的にはロングカーディガン、またはロングフーディガンなるものが羽織りとしては好きなのだった。裾がひらひらすんの。そういうのでオサレしてどっか出かけてこようと。感染者がまだ多いのが気がかりだが、神社やお寺さんには行きたいからねえ。とんと行けてなかった。正月に行ったっきりなんじゃねえの。そんでどうやらご利益ってあるからね。個人的な体感としてなんだけど。やっぱ神頼みはするべきなのだ。努力だけじゃなんともならん部分は神々に頼もう。おすすめ。

 ヴァイオリニスト。さっきは五嶋みどりのバッハを聴いていてうっとりよ。無伴奏のソナタとパルティータなら数種類のディスクで持ってるが、ハイフェッツ、ミルシテイン、グリュミオー、シェリング、ムローヴァ、ベイエ、そんくらいかね、それぞれに聴かせどころがあるか。不勉強ゆえどう違うかの細かいことは語れないのだが、なんだろう、気に入る演奏とそうでないのとがひとまずは区別される。リズムやパッセージや音色、それらの表現が好きかどうか、くらいの判断で聴いてる。本当にクラシックのマニアになると楽譜を見ながら聴いてるんだそうで。ちょっとそこまではいけないんだわ。

 読書、あまりできてねえなあ。楽なほうへ楽なほうへと流れてしまう私がいる。音楽聴いてたほうが楽だからね。とはいえ三月も中盤、ここから追い上げるのもいいんじゃないの。リミットがあると人間は動けるものだ。月末とかってけっこう読めるから。これじゃ今月終われねーよっていう、なにかしらの義務感がある。読むのは大事だ。読まねば書けぬという大原則。がんばりましょうがんばりましょう。




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