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断片 鼻っ柱へし折られるわ

 昨夜、自分の過去作のあれこれ、セリフだったりシーンだったり人物だったり、そういうのを思い出して「いいなあ、いいなこれ」などとやっていた。ノンアルコールビールを飲みつつえへらえへらとやって、名作じゃん、イイじゃんこれ、と悦に入っていた。そこへ本棚から視線。私を睨んでいる本がある。引っ張り出して読み返した。筒井康隆『創作の極意と掟』という一冊。なつかし、と思ってめくっていたらば、「予定調和に終る冒険小説というものが最も古い小説の形態であり、文学の先端からは最も遠いところにあるジャンルなのだということくらいは心得ておいていただきたいものである」とあった。鼻っ柱がポッキリ折れた。あの作品はうまいとか下手とか、おもしろいつまらないなどという問題以前に、小説として単純に「古い」のだった。ああ……。ちなみに思い出していたのは『東九龍絶景』という一次落ち作品です。マガジンにもまとめてありますが、もはやこの作品に自信などないです。

 承前。まあそういう夜も必要だ。常に自信満々なやつなどウザいだけだろう。でもねえ。筒井先生のその本を読めば、古今の文学作品の引用や紹介が大量に出てきて、この人こんなに読んだのか、みたいな気にもなるし、自分が木っ端みたいに思えてくるし。いや実際まだ木っ端なんだけど、志を持って高みを目指せ、友よヴァルハラで会おうみたいないま、これは少々キビシイ。大げさにいえば挫折である。ここを乗り越えろということでしょう。なんかみんなそうなんじゃないの、きっついところを越えて満身創痍で名を成していったんじゃないの。私もそうしよう。傷だらけでも進むのだ。いまは養生するんだけど(と書いたのち復活した。金井は元気です)。ちなみにその『創作の極意と掟』、非常な名著なのでワナビの方々はぜひ。私もひさびさに読み返している。教わることは多い。

 青い花を買ってきてサブデスクに飾った。いい色だ。青より濃いが藍より淡い。可憐。そして気高い雰囲気。この小さな花の名前を忘れてしまった。花屋の札には書いてあったんだけれども、他の花とかもいろいろ見ていたらさっぱり忘れてしまったのだ。花の名前は覚えていきたいんだが。ともあれ部屋が一気に鮮やかになるので、花を飾るのはとてもよい。本やら何やらでゴチャついているこの部屋にひとつの秩序。名の知れぬ青い花。

 バロックもののボックスから、バッハのミサ曲集を聴いた。声楽曲はあまり聴かないほうであるが、モーツァルトはオペラを聴かなければわからない、といわれるように、バッハは声楽曲を聴かなければわからないのかもしれない。知らんけど。カンタータでもミサ曲でも、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲でも、なんだかバッハのやりたいことはそちらに、声楽のものに比重があるような気もする。知らんけど。他の形態の曲よりも、人の声によって歌われたほうが緊張感は出るよね。込めたものが違っているのか、あるいは表現として聴き手に伝わりやすいということなのか。知らんけど。

 読書量がものをいう。わかっていました。noteの方々もえらいこと読んでおられる。私はそれに及ばない。読者の成れの果てが作家、といわれるでしょう。どんどんと読んでいきたいものです。あまり読まなかった四月が終わる。もうすぐ五月になる。私は何をしていたのだ。もっと読まねばならない。慢心がいちばんいかん。その次に怠慢がいけない。まったく、いろいろと思い知らされた夜であったこと。ここからでもね、がんばりましょうがんばりましょう。だいじょうぶだよ。なんとかなるだろ、努力していければ。



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