『自虐の詩 上下』業田良家 書評
ちゃぶ台返し。
まず夫婦の話が始まる。
序盤、この内縁の夫?がひたすらにちゃぶ台をひっくり返す。
妻のほうは文句もいわない。
飛び散った料理を片づけるのみである。
ボケを繰り返す、お笑い理論でいう「天丼」という技法なのか、
これは一応ギャグ漫画なので確かに笑わせには来ている。
ただそれだけと思うには序盤からして既に怪しい。
ちょっと妻がいなくなった(醤油を買いに行っていたのだが)だけで
あちこち探し周り、泣きながら駅まで走る、この夫の行動は伏線であった。
この夫というのはギャンブル好きで酒飲みの無職であり、
ではなぜ妻のほうはそんなのと別れもせずに共に暮らすのか、
これは下巻ではっきりと示される。
私見だけども、下巻某所、夫イサオの
たったひらがな七文字のあの言葉で関係性は決まったのだ。
それは共依存というにはあまりに甘く美しかったりする。
下巻には妻幸江の子供の頃が描かれる。
貧困、犯罪、自己否認(ここがタイトルに強く呼応する)、
およそ子供には耐え難い環境に過ごしながらも救いはあった。
ひとつには藤沢さん、もうひとつには熊本さんというのがそれで、
前者が結局は凡百の人間関係でしかなかったのに対し
後者の熊本さんの幸江へのふるまいは神がかりである。
裏切られても裏切らず、何一つ責めることもなく、
ただ一度だけ、謝罪に対しては幸江を泣きながら殴り、こういう。
「さあもう15発もなぐったよ なにか言うことないの」
「熊本さんごめん…」
「16発 17発 ごめんごめんって一生言い続けるか」
ここへ来てこの漫画、ギャグはもう目に入らない水準で文学的。
もちろんこの後の展開にも驚かされるのだが。
ひっくり返るちゃぶ台のようにスリリング、
そうして床を片づけるように泣き、
暮らしをやっていく、生きていく人間の凄みにおののく。
おもしろかったです。
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