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断片 とてもよく聞こえる耳

 半年くらい耳の中が詰まってたんですね。でも怖いしめんどくさいしで、ダラダラしてて耳鼻科に行かなかった。そこで今日ようやく行ってきた。なんやペリペリと耳垢の剥がれて吸われる音がする処置。処置ののち聴力検査。それを受けて、医者先生いわく「なんなら僕より聴力いいです」だって。耳がいいんだなあ私は。聴覚過敏になったこともあるくらいだからな。で病院を出て町をゆく。世界の解像度が違ってたね。いやあもう聞こえ方のなんと鮮明になっていたかというこの感覚、不自由ののちの自由、すばらしいものです。音楽はどうか、と思ってアルビノーニなどを試し聴きしてみればもう。くっきりとした音として目の前。耳を使う趣味だから耳のメンテは大事だろう。詰まったらまた行く。痛くはなかったし、気楽。

 昨日は名画座でいいものを観た。いい映画だなあって観てきてしみじみと余韻。楽しかったです。もう一本観たいけど明日が上映ラストなのよな。行けたら行きたいんだけども、時間的にちょっと難しいか。映画に学びたいとは思う。何が学べるのかっていろいろあると思うが、小説を書いてて、頭の中で上映してみろ、という教えがあるでしょう。脳内で映像化してみろと。そういうことのためには映画、またはテレビドラマでもいいだろうけど、役に立つんだろうなと。自分の書きつつあるものを絵で見る、映像で見る、その訓練としての映画。あとはストーリー、演技や表情、演出、カメラワーク、音響などのフラグメントを無意識下に投げ入れていくこと。単純にいって経験値上がるでしょそれ。

 とにかく金策なんである。金井さんにはカネがない。姓にはあっても財布にはない。ちょっとまた買いものしちゃってんじゃないの、どうなの、散財してんじゃないの、と問われたらその通り、然り。カネは使わなければ貯まる、いつかも書いたこのド正論、まったく沁みるものとしていま反省の夜ってわけさ。まあなんとかなるんだけど。幾度こんなピンチがあったかって数え切れぬ。それらを乗り越えてきたよ。だいじょうぶだいじょうぶ。どうにかなるのよ人生。

 で、聴こえがよくなった耳で反田恭平のラフマニノフとか聴いてる。聴こえる聴こえる。音の解像度、といういい方がちょうどピッタリくるもので、なんというか、遠くの音とか小さな音まで拾えるだとかというよりは、そこにある音が鮮やかになっているという感じ。音がよく見えるというと奇妙だが、そういう感覚でもある。ラフマニの三番のピアノよ、オーケストラよ。いちばんカネのかからないオーディオの作り方は耳鼻科に行くことだな。教訓ですよこれ。ぜんぜん違うよこれ。反田いいよ反田。うっとり、たまらんですよ。えっ、私の部屋がコンサートホールに? みたいな。私の耳聴けすぎ? みたいな。まあとにかくテンション上がってるわけです。それだけだ。

 首がガクガクである。執筆の姿勢が悪いのか、この一四〇〇字程度の雑文をやるだけでだいぶ痛い。困ったな。首のサポーターのようなものはないのだろうか。あとはなんだ、椅子の高さを変えるといいのか。どうにかして長時間の執筆をできるようにしておかなければ、この夏をこなせない。夏に執筆予定なんですけどね小説を。いまはまだ準備中、読むべきものを読もうというところ。ぼちぼちと行きましょう。アニー・ディラードとか読まねばならない。キャンベルもそうだし、他いろいろ。使えるもんは全部ものにして使っていく。やれることはやろう。



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