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『奥義としての無職』 肩慣らし掌編

 あの安居酒屋で、同席の者たちともども酔っ払いながら、俺は眠そうなお前に語った。
 歴史を振り返ってみたまえ。キリストと釈迦とソクラテスに共通項がある。彼らは無職であった、ということだ。救世主とは職業ではなく、覚者やソフィストも職業ではない。
 無職、無業者を擁護してみよう。まず先に挙げた三人だが、彼らは普通一般の職業を持たなかった、あるいは捨てたものの、世界に雷鳴のごとく響き渡るような、太陽が照らすかのような偉業を為した。
 その偉業が果たして普通一般の業務をしながらできるものだろうか? レジを打って人類の罪を背負えるか、満員電車の中で色即是空を思いつけるか、自動車の整備をしていて無知の知がわかるか。
 恐らくは精神の自由、自在な働きがなければそのような偉業にはたどり着けず、その自由や働きは俗世の金稼ぎに追われている限り手に入らないのではないか。
 結論だ。思索にふける無業者は、精神の宇宙において自由自在であり、ごくまれにとはいえ彼らは偉業を為すに至る。
 などといっても、これは偉人対常人の優劣の話ではなく、区別の話だ。こういう人がいればああいう人もいる、という程度の意味合いで……云々と。
 お前は聞いているような聞いていないような、なんだかわからない表情を見せつつ、たこわさ一皿で一杯百八十円の角ハイボールをひたすら飲み続けていた。俺はといえばたまにかすかに見てとれたお前の頷きに鼓舞されて、まあ、まったく愚にもつかぬことをまくしたてたものだった。
 俺もまた角ハイボールを、五杯目か六杯目だかわからぬ注文をして、それをがぶがぶと飲んだ。
 お前はいった。
「これは個人的な意見じゃなく、社会通念としてだけど」
「おう」
「常識的にいって、仕事はしなきゃならないんじゃないの?」
「できてたらしてるんだよ。俺はしないんじゃない、できないんだ。だからいまこうやって障害年金で細々とやってんじゃねえか」
 はいはい常識の外ですよ、と内心ふてくされてジョッキを傾ける。
 会話がふと途切れる。どこからか煙草の紫煙が流れてくる。ぎゃあぎゃあと騒がしい店内で俺は思う。
 早くAIが普及して、人間の労働の総量が減って、BIが導入された上で、無職がスタンダードの世界がくればいいのに。
 そういうことをいおうとしたが、横を見るとお前はテーブルに顔を乗せて寝ていたのだった。

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