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断片 妖精のごとき

 通常、私たちは読む本を選んでいると思っているが、逆に本のほうが私を、私たちを選んでいるということはないだろうか。手にとってと呼ぶ本、じっと見つめてくる本、読まれたがっている本、読者を愛そうとする本。別に擬人化していっているのではなくて、これは書物のスピリチュアリティの話だったりする。するのか。そうなのか。妖精のような書物たち。

 さっさとひと財産を作って、地方都市へ行って隠居したいものである。隠居に必要なひと財産、というとどのくらいであろうか。余命が三十年ある場合、質素に暮らして数千万円、具体的にいって五千万円とか、そのくらいだろうか。いや、それでは三十年は保たないか。いったいこの身ひとつ生かしておくのにいくらかかるのだ。なにも贅沢するつもりはないのだけれども。

 酒をやめて二、三ヶ月経つと脳の機能が回復してくるらしい。いいじゃないですかそれ。詳らかに調べてみたいところ。酒飲みの脳はどうなっているのか、いま私はどのくらい回復しているのか。酒は楽しい。楽しいけれども害がある。他に楽しいことを見つけてそちらをやっていればよろしいのではないか。健康第一とはただのスローガンではない。幸福のことだ。

 いわゆる親ガチャというもの、あれは外したほうが人間ができていくのではないか、というケース。親戚にアル中のおっさんがいて、その息子はソニーに入社した。こういっては悪いが、ネットすらなかった当時、あの山奥の辺鄙極まる集落に生まれてソニーへ入ることなど、ほぼ奇跡に近いことだ。どれだけの才能と努力があったのかって、たぶん天才がよほど努力した結果がそれなのであろう。彼は父親とは真逆に一滴も飲まぬ人であった。酔ってはわめく父親を憎んでいた。若いころ、憎むあまり「家に火をつけてやる」といっていたらしいが、そう思うほどひどい境遇、外した親ガチャが、彼を残酷なくらい強く鍛えただろう。

 ああ、シューベルトはいいな。最近また好きになってきた。ショパンコンクールの流れであれこれショパンを聴きまくった去年があり、さすがに飽きて、今年は何にハマるかといって、とにかくいまはシューベルトにどっぷりと。交響曲もいい。ピアノ曲もいい。弦楽四重奏、こちらはまだ手をつけていないが、近いうちに全集の封を切って聴いてみたい。何がいいって、なんだろう、ピアノソナタなどは、ちょっと密やかにしているものをおずおずと話してくれるみたいなところがある。作曲しといて照れてないかこれ、みたいな。照れ屋かシューベルト。


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