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断片 技芸、芸の術

 火曜にZoomである男と話して、そいつの悪口を書いていたところ、これは流れ弾で傷つく人々がいるだろうな、ということで一切合切削除。悪口はチラシの裏にでも書きます。誰かのダメージになるようなことを書かない、ということをよくよく考えていかないとならんでしょう。ネットにせよ本にせよ、読むって楽しいことだからねえ。悪口とか書いてあって楽しくなかったら読まれねえよ。そんで多くの人々を楽しませたらそれはやっぱ偉大なことなんだよ。ファンがつく。読者がつく。あなたの作品が好きであるといわれる。そんなようになるためにね、がんばりましょうがんばりましょう。作品を売る立場になったあとファンが出てきてれば食えるから。そのための、つまり楽しませることと食うことのための努力になってくる。技芸を磨くこと。芸術というのは芸の術であるってね、小説であれば読ませてしまう力なのだと、誰かがいってた。

 さて断片も一ヶ月近く書き継いできたけれども、三十件でストップする宣言もしまして、この記事を含めてあと六件。なんかおもしろい話ができたのか、おもしろく読まれたのか、よくわかりませんけど、私のほうのメリットとしては文章修行の意味合いが出てきてたんで、まあそこがよかったですね。ただの雑文とはいえ1400字程度を毎度書けていたのだ。今後このリソースを読書のほうへ向けて、勉強して、それからまた新人賞へ送る原稿へと取りかかろうと思うものです。ワナビ歴ももう長い。周囲の冷めた目もそろそろつらい。さっさとプロになりましょう。そんで小銭つかんでサテライト的な周辺都市に住みつくのだ。その町で書いて読んで聴いて観て死ぬ。隠遁生活というのならそういうものがいい。

 二月も三分の一を過ぎた。ああ。ぼうっとしてたらすぐに時間などすっ飛んでいく。もっと濃密な日々を。困難をやり通すような生活を。などと思いながらもダラダラしていて、まったく平和なことであるけれども。学んだりつくったりしなきゃいけないね。とうに決めた生き方だ。その生き方におけるやるべきことをやる。それで駄目なら仕方ない。

 ルドルフ・ゼルキンとクーベリック、バイエルン放送響によるベートーヴェンピアノ協奏曲全集。このディスクが長いこと入手困難だったのだが、こないだ復刻されたのでポチっておいた。なにやらすごいらしい。私としてはバックハウス、バレンボイム、カッチェン、ポリーニ、ブッフビンダー、ツィメルマンらが弾いたそれぞれの全集を持っているところへこの追加である。どんだけ買ってるんだろうな。ディスクは沼であるなあといまさら思うものである。ともあれゼルキンのよさはアバドとのモーツァルトで知っている。いや、知っているといえるのか、とにかくふれてはいる。楽しみなものだなあ。私のささやかな人生に添えられた音楽という花である。ちょっとぜいたくよね。

 いったい読書が何になるのか。ひとついえることは、書けるようになる、その点である。書き言葉と話し言葉は全く違う。ブレンドさせることもあるがそれは応用技術なので、書き言葉として書いて話し言葉として話す、まずはそこのところですが。読んでいるうちに滲んできちゃうんだけどね、書き言葉が話し言葉に。しかし書くように話していたら話すように話しているような会話には追いつけない。スピードやギアが違うのだ。これは冒頭で削除したといった悪口の中身にもあったことで、(と書いたあとで踏み止まり、以下数行削除。無関係な方面への流れ弾というのがやはりありそうだ。八つ当たりみたいにもなっちゃうし、金井さん、ブレーキブレーキ)



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