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断片 抜け殻だぞう

 身辺のあれやこれやが片づいてやがて虚脱。ようやく自分のことができるタイミングなのでそれはそれでいいんですけれども、若干あれですね、気が抜けてますね。だが昨夜は徹夜しておって読書、進みましたねえ。思うさま読めている。サプリメントを飲みコーヒーを飲み、キューピーコーワを飲み、あとなに、麦茶を飲み。なんだか間抜けなくらいの平穏が、日常がありますな。こういうことをただ嬉しがっているのも野蛮なことであろうか。中東で小麦不足。パンが倍の値段になってるとかそういう世界の状態をテレビで見て、やっぱり個人的な幸福感にもやましさが出る。私はたまたま現代の日本に生まれて生きているだけである。そこのとこよね。恵まれちゃって。

 サブデスクにiPadを置いて書いているが、なんかやけに首が痛い。どうしたんだこれは。姿勢なのかなんなのか。夜通しの読書のせいか。そういえば本を読むと鬱になるそうで、なぜかというに、読む姿勢というのは俯くから鬱に向くんだってよ。このダジャレみたいなことをいってたのは原田宗典。あの人どうしたかなあ。中高生の頃に五、六冊エッセイを読んだ。おもしろかったですね。いい本ってあるんだよ。読んできたすべての本がいまの私を構成したことでしょう。無駄なことなど人生にはない、といわれるが、これ、たぶんどんなことも無駄にするなって意味なんじゃね。マイナスをプラスに変えるのが芸術だともいう。貧乏不遇欲情空腹、どれでも全部並べてネタにしちゃえばいいわ。運命と精神と行動の総量が作品を規定します。なんていわせて。

 旅のプランを考えている。旅、といっても遠くへは行かない。電車で数十分の町のビジネスホテル、格安のところに二泊するとか、そんくらいのもの。行ってなにをするのか、というとこれはひとり読書合宿。部屋でひたすら読書をしましょうの旅。疲れたら外へ出てコーヒーでも飲んで、メシでも食って、買いものなどもしてみたり、いいんじゃないでしょうか。具体的にどの町に行くのかというとこれは神保町、古本街をうろつくのも目的のうち。だからホテルが格安でも本代がけっこう出ていくかもしれん。買いすぎればあまり安い旅ではないが、まあ、無理でもない。たまには環境を変えたいさー。春のうちに決行したいと思うものなり。楽しかろうことだ。

 ゼフィーロのテレマンとヘンデルを聴いている。バロックはいいねえ。窮屈な形式と思うこともたまにはあるが、そこをぶち抜けてめさめさ美しいものが現出するとき、バロックはいいねえ、と思うのだった。バロックらしさのその様式美、その裡で限界まで引き出されるところのギリギリの楽しさ美しさ。ああ。音楽に惚れ申した。いい趣味を見つけたなあ、ってこれもありがたいことでね。偶然だからねえ。十何年前か忘れたが、井上道義指揮の第九を生で聴いて覚醒したのだった。オーケストラはシンフォニア・ヴァルソヴィアだったか。運命の一撃だったさ。

 で読書が進んでいて、残り総ページは二五〇とかそんくらい。なんとか今月間に合うんじゃないかな。難しい本でもないのに結局時間はかかっている。もっともっと読もうの決意。そのコツコツの努力がやがてものをいうことでしょう。がんばらなきゃね。やるだけやるしかないからね。もう洗いざらい人生を賭けてきたというもの。負けは込んでいるけれども、引き下がれねえような事情もある。これしかねーよっていうのが私の場合には小説だったのだ。希望と絶望の先にまた新しい人生が広がるでしょう。なんていわせて。



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