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断片 これはサブデスクを手に入れたひとりの勇敢な男の戦いの物語である

 タイトルなげーよ。断片を一日だけ復活、なんとなればサブデスクをいままでの一台から二台に増やしてご機嫌、その新しいほうのサブデスクにデバイスを置いてこれを書いてみたりしているのだ。だから環境チェック、動作チェックの意味合いもある。いまのところなんの問題もない。部屋の模様替えも伴ったけど、ひとりがけソファを捨てたりしてね、そういうのも引っ越しをするみたいな状況にも似て気分がリフレッシュされた。模様替え、いいものだ。これでまだ戦えるというところよ。

 承前。メインのデスクにはデスクトップパソコンがどーんと構えておるので、やはりどうも空きスペースが少ないし、キーボードやマウスの他にはペン差しとスマホスタンド、それに日記帳を開いて置いといたらそれでおしまいのところだった。それがあなた、いまやサブデスクという応援が現れて状況は変わった。サブデスクに手帳とカードボックスとタブレットを配置して、作業スペースとしてより正しくなった感がある。ああ、私はここで書くのだなあ、のような気分。おわかりか。作業の、または執筆の環境がもうすばらしいことになったのだ。これで私の小説もすばらしくなればいい。努力。あとはがんばるだけだ。

 またしても金欠である。アホなほどカネを使ったゆえのこと。CD買いすぎ。預金残高に愛を。三月四月は出費を極力抑えて、そうして財政再建を目指そうと思うところ。いや、新型iPad Airを買うべく貯金をしていこうの段でもあり、噂によればもうすぐ発表会でしょう、ぜひとも欲しい新型が出てくるんじゃないのかと。出れば買いましょうと。そういった心構えでー、えー、前向きにー、考慮してー、適切にー、善処していくものとー、我が党としてもー、そのようなことでありますからー。まあ要するに金欠だが貯金してiPad買うってだけの話をこんなに何行も書いている。この無駄がいいんじゃあないか。最近は無駄の意味を考えている。考えるだけ無駄ということも含めて。

 テンシュテットのEMIボックスを聴き直している。ブルックナーを掴みかけた。四番と八番を聴いたところ、ああ、これはこういう音楽で、つまりはブルックナーとはこうでこうでこう、のような要素のうちひとかけらを手にした。これはテンシュテットのおかげ。ブーレーズで八番を聴いたけどそのときはまだわからなかった。そこへテンシュテット、なぜこの演奏で私はブルックナーを掴みかけたかはわからない。が、この指揮者は聴かせどころ、大事なパートやおもしろい部分を、なんていうの、強調でもないんだけど、しっかりと堂々と響かすことで曲を彫琢する人なんじゃないか。いまマーラーの一番を聴いていてもそう思えた。劇的なオーケストラ。

 二月も終わりが近く。読書は思うようにできましたか、と問われるならば、やっぱもっと読みたかったなあ、と答えるしかない。いや読んだには読んだのだ。ただその読書量が理想に届かないことを嘆いている。忙しいのだろうか。この断片を連載してたときは確かに忙しかった。余力が残らず、読書どころではなかった。だもんで今回これも単発の復活ということで、連載を続けはせずに、またつぶやきでお茶を濁していこうという私のnote生活であります。がんばりましょうがんばりましょう。




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