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断片 傷を負うこと

 皮膚にある程度の刀傷を得ると、それはのちのちケロイドになって残る。数年は赤黒くそこにあり、だんだん色素が薄れていって白くなる。実証済みだ。別にそれがどうしたというわけでもない。体を見回してみたら腕にあったというだけ。もう半袖の季節も近いので、またこれを晒して歩くのだなあ、と思うものです。この傷については直接訊かれることもある。「何の傷?」と素朴な表情で訊かれる、ホルモンの歌のようなことがこれまであった。この傷をなかなか皆様無視しない。手術で消せると医者はいっておったが、これはこれで勲章なので放っておきたい。「傷ひとつない体で死にたくはない」ってやつだ。この傷に哲学が宿る。

 週の初めに活けた青い花がまだまだ元気。彩りを部屋にくれています。なんならつぼみからまた咲き始めている。生命力すげえな。ありがたく愛でる。スクリーンから目を上げただけでその花を見られるので、うむうむ、きれいねー、と思う。心で褒めている。たまにさわる。命を感じますよ花に。水を毎日換えたりして世話をしている。これをめんどくさい手間と思うか、新しい習慣と思うか。習慣にしちゃえば自動的にそれをやるようなことになるので、なんら手間のかかる話とも感じないもんであろう。青い花。しばらくは咲き誇るでしょう。書斎で。リビングで。

 さて連休ですが。どこへ行こうにも人の山でしょうから、ひっそりとしたところへなら行きたいと思う。そんなとこあまりないんだけどね。ひっそり感を求めるなら遠くへ行くことになる。ちょっと無理ですねーいま。何か安く上がる楽しみというものはないだろうか。本屋を覗いたりするのもいいんだけれども、そこでは運命的な本との出会いがあったりして出費になる。いま出費はいけない。ならぬのだ。じゃあどこへ行きましょうかねぇ。これというところがない。中古ショップ。いやいや、それも出費につながるだろう。買うもん俺。結句おうち時間ないしひきこもり時間を過ごす以外には手がないか。行くあてがないんだったらそうするだけだな。もうちょっとこう、刺激的な何かがあればいいのだが。

 パトリツィア・コパチンスカヤの音源をまとめて聴いている。この人の演奏上の議論をあれこれいえるほど詳しくないので悔しいんですが、なんとも自由な、思うままのヴァイオリンでやっているとは思う。ある意味で曲が新しくなる。受け取り方次第なんだが、ふざけんなと怒る向きもいるし、おもしろいんじゃね、と笑う人もいるようだ。単純にいえば、通常こういうふうには弾かないよね、と、伝統的な奏法や解釈の方面からはいえる。伝統から離れてるからおもしろくなるのかと、おもしろいんじゃね派の金井は思うのでした。コパチンスカヤ、愛称はコパちんだって。コパちん。なんかしっくりくるなコパちん。しかしまあ、こんだけ解放されたヴァイオリンもあるのだ。音楽はこうあってもいいのかもしれんね。

 本を読み終えた。やっとのことであった。決して難しい本ではないのだが、四月いっぱいほぼグダグダだったんで、このラスト数日で残りの本を仕上げた形。来月はもっと読もう。ここからまた大変だが、個人的に設定した必読書の数冊をいま半分くらいはやれたのかな。どんどん行こうどんどん。しかし小説が書けないなどとは、私はいったいどこに書いたのだろう。本が読めないとは書いてきたのだが。何度もいうようにいま準備期間なんで仕込みをずっとコツコツやっているところだ。六月いっぱいまでは仕込みとなろう。もしそれまでに終わればそこから作業開始だ。執筆だ。作者の苦労など誰も知らなくていい。そんなもん作品がよければどうでもいい話だ。



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