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断片別項 私とは何か

 提案があったのでこのお題で書く。というか考え始めたら止まらなかったので書いて吐き出すこととする。

 私とは何か、というときに、まずその「私」が「ある」ことが前提となる。問い直すならば「ここにある私とは何か」であり、「ここにない私とは何か」とは死者でない限り問うことはできない。問われているのは「生きてここにある私」についてである。いま私が私そのものへの疑問を呈しているのだ。

 具体的に見て、私は個別のものとしてある。あなたや彼や彼女やあの人がそれぞれの私=自分を生きている。私=自分が無数にひしめいているのがこの世の実相と暫定して、さてその無数のうちのただひとりとしての私=自分はどのような属性を帯びているだろうか。換言すれば、どのように特別なのか。

 単純だ。無数の私=自分の中で、あなたは取り替え不可能なただひとりの者であるがゆえに特別なのだ。以上のことから、問いへの答えのまずひとつ目として「私とはただひとりの者である」といえる。唯我独尊とはいえずとも、唯我の、唯一の者、それがまず私である。

 だがその唯一の者が何十億とあること、これはどう考えればいいのか。ひとつには、知覚されないものは存在しない、という世界観がある。その説を採れば、何十億の人間を知覚することは不可能であるがゆえ、それらは世界には存在していないのだ。この場合においては唯一の者たちは何十億という数ではない。労したところで何百人が判別出来る程度であろう。

 そうしてそれらの唯一の者たちは、何十億にせよ何百にせよ、ただひとりの「私=自分」と区別されて「あなたたち」となる。だが前述したとおり、その「あなたたち」にもそれぞれの「私=自分」がある。向こうからはこちらが「あなたたち」の中のひとり。この論理は堂々巡りだ。私もあなたたちもあったものではない。いったい唯一とは何か。

 これは全てにしてひとつである、としかいえないのではないか。人間であることでは全てが共通であり、個体であることでは誰もが唯一である、そのような二重の層の属性になっているのが私をめぐる事態であること。ふたつ目の答えがそれだ。

 アイデンティティという面からいえば、私はどの国の国民である、どの民族の血を引いている、どの地域に住んでいる、どの職業に就いている、そういうようなラベルを私というものに付すことはできる。だがそれは本質ではなく表層のことだ。まず他者と同じ人間であること、まず私として唯一であること、深奥の問いはその矛盾からになる。

 がんばって考えて書いてみて、こんなもんですが。



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