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断片 コト化するモノ

 事をコト、物をモノと書く場合がある。車をクルマと書くような感じか、雑誌なんかではよく見かける表記だ。なぜわざわざカタカナにするのかはわからない。おしゃれじゃないでしょこれ、別に。だって「ハッピーライフをランクアップするための三つのコト」とかいわれてもねえ。とはいえ「幸福ナル日常ヲ格上ゲスルガ為ノ三件ノ事」とか書かれたら、何やら戦時中の新聞みたいで雰囲気がよくないのだった。気楽にコトだのモノだのと書いてるほうが平和でいい。戦争が遠のくんじゃないの。にじみ出るスタバっぽさというか、西海岸のいつもの例のやつっぽさというか、そうしたような狙ったおしゃれ感は好きにはなれんが、ともあれコトとモノの話を二ブロック目まで突入して書く。

 そうして二ブロック目。コトとはできごとや体験を指すであろう。モノとは現物としての物体を指すであろう。実はこの両方にまたがる、あるいはどちらでもない概念のコトないしモノがある。本、CD、DVDやブルーレイ、主にこれらのことをいう。本を例にすれば、情報の入ったモノ=紙の束から、文字を読んで情報を取り出す、つまり読書という体験=コトを行使できるのであった。CDならディスクというモノから音楽鑑賞というコトが発生するし、DVDなら映画鑑賞ができる。これら、モノなのにコトが発生するこの事態がなかなかに異様に思える。コトを内部にポテンシャルとして秘めるがゆえに、モノたる本やディスクはあんなにも魅力的に見えるのではないか。あれに何が書かれてあるか、何が収録されているか、それらはどんなにもすてきなものだろうか。そうした期待があるから買いすぎる。買いすぎて貧乏になる。家賃が払えなくなる。路頭に迷う。飢える。死ぬ。ああ、モノだのコトだのいっているうちにこのザマである。こういう大人になってはいけませんよ、そんな教訓を遺して私はくたばる。

 いや、くたばりはしない。節度というものがある。ギリギリあるのだからギリギリ生きているって話だ。さて実はこの断片、いつもはストックが用意されてあって、それをアップロードするだけだから余裕綽々の更新だったところ、今回、今日ばかりはリアルタイム的に執筆中であって、なんとなれば寝過ぎていてストックを作る時間がなかった。眠気の凄まじきこと怖ろしく、季節の変わり目は私はだいたい眠いのでよく寝るもんなのだった。眠いということは春が近づいてきているということだ。冬が終わる。眠くなりつつ終わり、そして春が来てみればポカポカ陽気でまた眠いのだろう。どっちみち私は眠い。眠気に取り憑かれて一生を生きることでしょう。のんきなことだな。

 アマゾンミュージックでR&Bのプレイリストなどを流していた。リズム&ブルース。いいよね。黒人霊歌から始まるブラックミュージックが進化していってその途中に生まれたもんだ、という解釈でいいのか、ともあれ聴きやすくて楽しくて。私もクラシックばかり聴いていてはいかんな。もっと幅を広くとっていろいろ聴いたほうが時代の空気を吸えるんじゃないの。レゲトンとかさ。いや、EDMなどというと古いかもしれんからレゲトンを挙げたけど、レゲトンももう古いのかもしれないと思うと怖い。なにしろ音楽は進化します。人がこの地にある以上、進化し続けることでしょう。

 一月の最後の日、今月も思うようには読めなかったなあ、の無念がある。もっとガッツリといけるはずだった。だが寝てたりしてダメだった。あとはまあ、書きものがやたら増えたことも原因すると思う。日記はもとより、ノート術によるノート、ネタやらメモやらを書くノート、それらをやってることと、あとなんといってもこの断片がでかい。勝手に始めて勝手に続けているこの連載、文章修行の一環になればいいなと思ってやっていて、たぶん来月もまだ書き続けるはずなので、お時間のある方は読んでみてください。金井がなんかいってるんで。



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