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断片 眠れぬ夜に

 何が原因か知らぬが不眠である。眠くなって横になっても眠れない。起き上がる。ネットを見る。眠くなる。横になる。そして眠れない。いったいどうなっているのだ、と思ってもわからんので、なんとはなしにキーボードを叩いているという、そんないま現在は零時過ぎ。眠りたくてそれが叶わないのはしんどいね。本でも読んでいればいいのだ、とは思うのだが、鬱、というとおおげさなので、なんか憂鬱なんですね気分が。憂鬱でしんどいので読めない。そういえば季節は春なのだった。不調が起きやすいじゃん。この憂鬱もその手のものであろうか。もう開き直ってコーヒー飲んでるんで、しばらくは起きている覚悟。

 承前。そういや坂口恭平の本を思い出して、心が苦しいのは食いすぎにも似てインプットのしすぎなので、そういうときはアウトプットするタイミングなのだ、という話があった。いままさに私がこのタイミングのところであろう。アウトプットをこうしてダラダラ書いていくというのはなんだか落ち着く作用がある。これは紙のノートに書いてもけっこういい。たぶん表現するということでなくても、頭の中のジャンクファイルを吐き出していく感じでいいんじゃないかしら。ハードディスクのデフラグですね。そうすればほら、だんだんと気分もよくなってくるじゃんかよ。療法とまではいかないが、もう落書きでもチラ裏でもやってりゃいいんじゃないか。

 さてこの夜中。書いてて落ち着いてきたんで眠れるかもしれないな。でもコーヒー飲んじゃったから難しいかもな。ううん、飲むべきではなかった。カフェインはねー、眠れなくなるからねー。しかしまあ、疲れたはずの一日の終わりになぜ眠れないのか。疲れすぎたのかな。脳の興奮状態か。まあだいぶ放電したけれども。ガス抜きしたけれども。横になっても考えごとをしちゃうとダメだね。眠りの国が遠ざかる。マインドフルネス関連のなんらかのテクニックを使えばいいのか。たとえば体のパーツを爪先から順番に意識していくだとか、そういうのありますけど、やり方はほぼ忘れてしまった。

 カレル・アンチェルのドヴォレクを聴いている。どっしり、みっちりとした響き。荘厳にして慈しみあり。厳しくも穏やか。これがやれるんだからアンチェルは偉大だったよなあ。この録音、チェコフィルでのドヴォルザークなんで、もうご当地のものであってみれば何もかも自然に表現される。嘆きも祈りもここにあるね。そうして心が落ち着いていく。私は葬式を開かないと思うが(不死身というわけではない)、万が一、死んだ私の死体のそばで、こいつクラシック好きだったからなんかかけてやろうぜ、みたいなノリの場面があれば、ああ、このドヴォレクをかけてはくれまいか。我が魂を次の世界へ送り届けるこの音楽。チェリビダッケのモツレクも捨てがたいけどね。

 今月はあと三冊読めればと思う。本棚からライトな読み口のものを選び出したのだ。実は読まねばならない本というのがあって、本来そちらを優先しなきゃいけないんだけれども。しかし冊数を稼ぎたいとも考えているので、サクサクやれそうなのをとにかく読もうと。今月あと十日かそこら。できますか、といって、このくらいできなければワナビなどやめてしまえ、というもの。書けている人々は読んだから書けるのだ。そこに例外はない。たくさん読んでたくさん書きましょうの原則。のーみーそパーン! というくらい詰め込んで初めて書けるもんもあるでしょう。その臨界点でデビューになるんじゃないの。知らんけど。



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