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『東九龍絶景』 9

9 ミスター・コシャリのキャニオン・ドゥ・シェ

 カザミは幾度か吠えた。さっきの扱いがどれだけ悔しかったのかを、僕はその叫びで知った。寒気がするほどの屈辱がカザミから伝わった。
 叫びをやめると、肩で息をして、カザミは立ち尽くした。僕に背を向けているので表情は見えない。いまどんな顔をしているのかわからない。
 僕も立ち尽くしている。何かいいたいと思うのだが言葉が浮かばない。いま必要なのは慰めでも同情でもないだろう。
 きっと正解は、一緒に怒ることだ。
 それがわかりながらも、僕は屈辱を感じたり怒ったりはしていなかった。冷めているようだが、なぜか簡単に気持ちを片づけられた。殺されなかったからいいじゃないか、というような納得の仕方だ。
 僕たちはそれぞれどこかに目をやっていた。カザミは遠くの中心街を向いていたし、僕はあたりをなんとなく見回していた。渇いた土の続く荒野。
 その荒野の隅のほうに、崖になっているのか、落ちくぼんで見える淵のようなものが見えた。そんなに遠い場所でもない。ただ、その淵は長く伸びていた。
 淵の内側は黒い。
 その淵のところに、ぞろぞろと行列を作って歩いてくる連中がいた。陽気に会話をしながら、ときどき笑い声も立てていた。上半身が裸なようで、胸や首に赤と白で模様を描いていた。
「あれ、なんだろう」
 ずっと黙っていた僕はそんなことをいった。間抜けなような気がしたが、その程度の言葉で精一杯だ。
 カザミが振り返り、僕の視線を追った。横顔は平静なものに見えた。落ち着いたのだろうか。
「なんだろうな」
 嗄れた声でそういった。
「変なやつらだ」
「行ってみる?」
 少しでも気晴らしになれば、と思ってそう提案した。カザミはあっさりと話に乗ってきた。
 僕らはまた歩き出した。土をざくざくと踏みしめ、騒いでいる半裸の集団のほうへ向かう。
 集団はいま、一カ所に集まって車座になっていた。踊っているやつがいる。囃し立てるたくさんの声と手を叩く音。
 近づいていっても、気づかないのか無視しているのか、相変わらず騒いでいる。彼らが身につけているのは刺繍の入った腰巻きだけで、裸の上半身には複雑な、暗号のような模様が何かの塗料で描かれていた。靴は履いておらず、裸足だった。
 少しの間近くで見ていたところ、車座の中のひとりがこちらを向き、じっと僕たちを見たあと手招きした。
 僕たちは応じなかったが、あんまりずっと手招きされたので、恐る恐る寄っていった。
「客。座れ」
 手招きした男がそういった。車座のそばの地面を叩く。そこへ座れということだろう。
 僕たちが座ると、車座の騒ぎの中、その男は話しかけてきた。
「客。どこから来た」
 南部から、と正直に答えていいものかわからなかったので、遠くから、とだけ僕はいった。
「どのくらい遠くだ、一万歩か、二万歩か」
「数えてねえよ」カザミがいった。
「たぶん五万歩以上は歩いてます」
 そうか、と男は頷いた。
「それはとても遠くだ。太陽が傾ぐほど歩いたな。休んでいけ」
 男は車座の中心に顔を向けた。そこで踊っているのは羽根のついた仮面をつけた若者だった。僕やカザミより少し年上だろう、とその体つきから判断した。上半身の筋肉が大人のそれよりも発達していない。
 仮面の若者はおどけたポーズを次々に見せ、その度に一同が笑い、囃し立てる。何かの動物の真似をしては転んでみせ、くるくると回転したあとで目が回ったというジェスチャーをする。場は盛り上がっている。
 これがなんの集まりなのかはわからないが、和やかなものであることは確かだ。気が楽になる。
 カザミが気分を立て直せればいいが、と横を見る。カザミは踊る若者をじっと見ていた。笑いこそしていないものの、表情はさっきより穏やかだった。
 飲みものがふるまわれた。大きな木の器をみんなで回し飲みしている。僕らのそばの、手招きした男に器が回ってきて、彼は一口飲んだあとで僕に手渡した。
「これはなんですか」僕は訊いた。
「ペヨーテだ。飲め、客」
 聞き覚えがある。何かで読んだのを思い出した。どこか暑い国の、サボテンから作る麻薬だったはずだ。
 こんなものを飲んでいいのかどうか。逡巡しているとカザミが僕から器を取り上げ、ぐっと飲んだ。
「まずいな。苦い」
「カザミ、麻薬だよそれ」
「注射器を使わないクスリは安全だって聞いたぞ」
「誰がいったんだよ」
「リーダー」
 あのカジノのリーダーだ。変なことを吹き込んだものだ。煙でもうもうとしていた事務所で吸っていたのは、もしかして煙草ではなかったのかもしれない。
 器がまた誰かの手に移っていった。僕は飲まずに済んだ。少し興味はあったが、やはり怖い。
 踊る若者にも器は渡され、仮面をずらして一口飲んだ。そうしてふらふらと酔っ払うような仕草をしてみせ、また場が沸いた。
 見たところ、麻薬をやったとはいえこの集まりに特別な変化はないようだった。ペヨーテを飲んでも、飲む前と変わらず陽気に騒いでいるだけだ。せいぜい少しやかましくなったくらいだ。
 横のカザミを見る。
 薄ら笑いを浮かべていた。
「カザミ、平気?」
「え」カザミがこちらを見た。「何が?」
「体調とか気分が」
「ちょっと楽しくなってきた」
 だったらいいか、とも思うが、半面で心配でもあった。ペヨーテはダメージがないのかどうか。
 笑いと騒ぎの中で若者が踊りを終えた。仮面を外して座り込んだ。野性的な顔つきをしていたが、どこか神がかったような瞳を持っていた。見ていながら見ていないといった瞳だ。
 彼が身につけている腰巻きには独特な刺繍が施されていた。動物の絵、山や川の絵、幾何学模様。
「コシャリ、客が来た」
 さっき手招きした男が、若者にそういって僕らを指した。コシャリと呼ばれた彼はこちらを向いて、笑顔でいった。
「お客だ、お客だ。いいことがある」
「恵みがあるか?」誰かが大声で問いかけた。
「雨が降る! ペヨーテとギミタラが育つ」
 コシャリがそういうと、みな手を叩いて喜んだ。どうやら僕とカザミは吉兆らしい。客が来ることは珍しいのかもしれない。
 コシャリが踊っていたあたり、場の中央で火が焚かれた。場は少し静まって、みなその炎を見つめた。
「変なものが」カザミがいった。「変なものが見えるよー」
「だいじょうぶ?」
「これは……ダイナミックな……」
 うわごとのようにいうカザミの顔はふにゃふにゃと緩んでいた。頭は左右にゆっくりと揺れている。
 コシャリがこちらを見て笑った。
「お客、効いてるな」
「効いてもいいですけど、このままじゃ困ります」
「すぐ元に戻る」
 そういって首筋と頭をかいた。淵のほうを見た。僕も目を向ける。
 ここからは、大きく裂けて広がった谷のように見えた。一面が谷だ。底は深いようで、暗くて見えない。ここから下る斜面が底へと続いていた。
 この谷はいったいなんなのか。どのようにしてできたのか気になる。
 だが、そんなことよりもやるべきことがある。
「あなたがコシャリなんですね」僕は確認した。
「そう呼ばれるし、呼ばれないこともあるよ」と返事された。
「キミカさんから頼まれごとがあって」
「おお、キミカ。まじない女、呪の女。かわいい女は怖ろしや」
 コシャリもペヨーテに酔っているのか、とらえどころのない喋り方だ。笑顔を浮かべてごきげんだ。
「お客、何を頼まれた」
「石を埋めてくれと」
「埋めよう、埋めよう。手伝おう。石の墓場へ行こう」
 そういってふらりと立ち上がった。周囲のみんなはそれに構わず、炎を見つめていたり雑談したりとそれぞれ過ごしている。
 コシャリはよろけながら淵に近づいた。土くれが崩れて斜面を流れていく。谷の底を見下ろして、手を腰にやった。
「人も死ぬし石も死ぬ。人には墓、石にも墓。キミカに殺された石たち、おお、かわいそう」
 妙な抑揚をつけて歌うように喋る。視線は谷を探っているようだった。やがて谷の中腹を指差した。
「墓はあれだ。埋めてあげよう」
 よくよく見なければわからなかったが、示された場所には白い棒が立っているようだった。谷底へ続く斜面の途中、岩がごろごろ転がっている一角。
 何か民謡のようなものを歌いながらコシャリは歩いていった。カザミを放っておいていいか少し迷ったが、すぐに帰ってくればいい。
 コシャリを追いかける。斜面の土はぐずぐずと崩れ、思うようには歩けない。陽が暗いせいもあって足下はよく見えず、深く下りていくに従って影も増えた。
「蛇は牙、バイソンも牙、コヨーテたちは牙と爪」
 影の中、コシャリはそんな歌と共に素早く進む。声は大きい。もともとこういう性格なのか、ペヨーテで酔っているのか。
 突然振り向いた。
「バッファローの真似!」
 指で角らしきものを頭に立てて、凶暴な顔をしてみせた。僕が反応しないのを見て真顔になった。
「お客、楽しくいこうぜ」
 そういわれても、はあ、と答えるだけだ。ちょっとついていけない。コシャリに肩を叩かれ、それからは並んで歩いた。
 やっと見えていた程度だった白い棒が近くなってきた。三メートルはあるだろうか、堂々とそびえている。斜面を慎重に下って岩場のほうへ向かう。靴の中はぐちゃぐちゃだった。
 もうすぐだ、と励まされ、滑らないようにと気を張って歩き、やがて棒のすぐそばまできた。
 見上げる。ペンキを塗ったのではない白さの、木でできた塔のようなものだった。僕の両腕が回らなさそうな太さ。
 コシャリが足下の岩を蹴りながら、塔を見ている僕にいった。
「それ慰霊碑。人の」
「人ですか」
「大穴がぽっかり。ここらではみんな死んだね」
 また腰に手をやって、それから塔を見上げた。腰巻きと体の模様、その姿が塔と似合っていた。
 空がやや赤茶けていた。雲の向こうに西日が光っていた。白い塔にその日が差さす。僕とコシャリを照らす。ただ、やはりその先にある谷底は暗く、ここからでも見えない。
 コシャリが塔の横の岩を転がした。岩の下には無数の石が置かれていた。透明な赤色、青、黄色、ピンク色など、色は何種類もあった。すべてキミカさんのものだったのだろうか。
「お客、石を出せ」
 そういわれ、僕はリュックから石を取り出した。くすんだ緑色の丸玉。それを見て、コシャリはつらそうな顔をした。
「キミカ、働きすぎてる。足をあんなにしたのに」
「いまは休んでいるそうです」
「あの子はもう、一生休んでいい」
 悲しげにそういうコシャリに促され、色とりどりの石の墓の中へ、僕の持ってきた石を置いた。コシャリが目を閉じ、何か祈祷のような言葉を捧げた。それは東九龍の言葉ではなく、僕には聞きとれなかった。
 夕陽があたりを照らし出していた。祈祷を終えたコシャリはまた岩を転がし、石たちの上に置いた。
「さ、戻るぞ、お客」
 そういって塔を後にし、もと来た斜面を上っていく。コシャリはまた歌っていた。
「昼の星、夜の太陽、大空はひっくり返って地は安泰」
「どういう意味ですか」
「意味? 意味はないよ。うん、無意味という意味だね」
 それが俺の仕事さ、といって進む。
「ふざけるのが役目。みんなを笑わせてなんぼ、それでメシにありつける」
 今度はハミングをして進んでいった。それはでたらめなメロディだったが、テンポやリズムはよかった。
 靴の中の土、その気持ち悪さに耐えながら上り続けた。夕陽に染まって赤黒い斜面を、やっとのことでさっきの淵まで来た。
 車座の集まりはまだ続いていた。笑い声が聞こえて、近づいていくとカザミが取り囲まれていた。
「何本に見える」ひとりが指を二本、カザミの前に差し出した。
「ああ……四本、いや五本……」
 みなゲラゲラと笑った。カザミはまだペヨーテが抜けていないらしかった。
 笑いものにされているのもかわいそうなので、そばへ行って、腕を抱えて連中から引き離した。泥酔したみたいにぐにゃりとしている。
「ソラか……。クスリ、抜けねえよ」
「ちょっと休んで」
 カザミはどさっと地面に座り込んだ。うなだれて、うなっている。
 これはどうしたものか。考えていると、コシャリがこちらへ来た。あの木の器を持っている。
「これ飲め。シャキっとする」
 また麻薬か、と思ったが、それを問うと違うといわれた。酔いがさめる解毒剤のようなものらしい。
 カザミはのろのろと手を伸ばし、木の器を干した。空になった器を持ったまま寝転がった。
「こっちのお客、弱いね」コシャリはニコッと笑った。
「麻薬に強い人がいたら怖いですよ」
「それは慣れでもあるんだけど。君、飲んでなかったね。飲む?」
 その誘いを断り、眠っているように見えるカザミのそばに座った。コシャリは笑顔のままだ。
「友達か。いいことだ、ナイスなことだ」
 そういったとき、車座の連中からコシャリを呼ぶ声がして、お呼びだ、といって連中のほうへ戻っていってしまった。
 やや離れた場所での乱痴気騒ぎを聞きながら、夕陽を見ていた。カザミが起きるまではそうしているつもりだった。雲越しの夕陽はぼんやりと滲んでいる。真上を見ると深い藍色の雲があって、コシャリがさっきいっていたことを思い出した。雨が降る、といっていた。もしそうなら、降り始める前にどこか屋根のある場所に行きたい。
 たとえば食事をとれるところ、そういう店などはここらにはないだろうか。時間的にももうすぐ夕食どきだ。
 傍らでカザミが唸った。きつく目を閉じている。しばらく待たなくてはならないだろう。
 ラジオを取り出した。電源を入れる。
 イエロウの放送でよく聴くタイプの曲が流れていた。ダンスミュージックというようなものだ。音量を絞り、そのノリのいい曲調に聴き入った。
 ラジオを手に持ってそうしていると、ひととおり笑わせてきたのか、またコシャリがこちらへやってきた。
「いいもの持ってる。羨ましいね」
「僕の宝物です」
「そうか。でも宝物は少ないほどいい。増やしちゃだめだよ」
「もう、いくつか持ってますけど」
「増やすと、心配事も増えるよ」
 そういってパッと足を踏み揃え、ラジオの曲に合わせて踊った。先ほどの集まりのときに見せたようなものではなく、現代的というのか、もっとはっきりとしたダンスだった。
「イエロウのディスコでは、みんなこんなふうに踊るんだ」
 そういってステップを踏み、踊り続けた。イエロウがディスコまで手がけているとは初耳だった。コシャリの踊りが楽しそうで、僕もそのディスコへ行ってみたくなった。
 踊りを目で覚えようとしたが、覚えきれなかった。
 コシャリは息が上がって、そうして踊りをやめた。細かく呼吸をする。
「君たち、どこへ行くの」
 そう訊かれたが、答えあぐねた。
「見たところ、旅してるんでしょ」
「旅……。まあ、そうですね」
「目的地は?」
「日本料理屋だ」
 背後からカザミがいった。振り返ると、地面から起き上がって顔についた土を払っていた。
「腹がへったんだ。メシを食いに行く」
「クスリは抜けた?」
「ああ、もうシラフだな」手のひらで目のあたりをこすった。
 そのやりとりを聞いていたコシャリは頷いて、日本料理なら、という。
「中心街にいっぱいある。行ってみるといい、あのでっかい街」
 そういって、遠くの建物の塊を指差した。濃い灰色の、ごてごてした街。
 雨が降り出す前に出発したい。僕とカザミは立ち上がって服についた土を払った。土がとれずに汚れてしまったところもあるが、仕方ない。
「コシャリさん、ありがとうございました」
「何が?」
「いや、いろいろと」
「うーん。別に礼をいわなくてもいいよ」
 でもまあ、という。
「また来なよ。お客さんは大歓迎だ」
「変なもん飲まさねえなら来るよ」
 カザミがそういうとコシャリは笑い、バイバーイ、といって手を振り、後ろ向きに歩きながら仲間たちのほうへ戻っていった。
「なんだあいつは」カザミが呟いた。「それに、ひでえ目にあった」
「まさか麻薬をやらされるとはね」
「他人事なんだろうけど、あれほんとキツかったからな」
「うん、まあ、戻ってこれてよかったよ」
「でも、キマッてるときにな、なんか気づいたような感じがあったな。愛についてなんだけど」
 そう話していて、ワン・ウェイ・トリップという言葉を思い出した。麻薬をやって精神を破壊され、それっきり正気に戻れなくなることを指す。
 カザミがそうならずに済んだことに安堵した。いまは目つきも顔つきもまともになっている。もう覚めたのだろう。
 カザミがペヨーテに酔っている間のことを話した。谷へ下りたことと、石を埋めたこと。慰霊碑があったことも話したが、興味がなさそうだった。
「毎日どっかで人は死んでるだろ。特別なことじゃない」
 といわれ、僕は黙った。特別な死はない、というその考え方は乾いていてシンプルで、いかにもカザミらしかった。
 僕たちは街を見た。要塞のようなあの塊の中へ行くのだ。距離はざっと、徒歩で一時間というところだろう。
「歩き疲れたね」
「そうだな、店で休もう。メシが食える店」
「靴も洗いたい」
 僕の足を見たカザミは顔をしかめた。
「そりゃ洗わなきゃな。ドロドロだ」
 洗える場所を探しつつ、街に向かって歩き出す。だだっ広い土の地面がずっと続いている。水道などはありそうになかった。街に入るまで我慢することになるか。靴の中の土が歩くことに集中させてくれない。
 僕たちは喋らずに歩いた。ここまで来たことの疲れがたまっている気がした。南部を歩き、北部を歩きと、移動し続けたのだ。まとまった休憩がしたい。
 それに、カザミに起きたことが心配だ。叫ぶほど怒り、寝るほど酔ったこと、それらの疲労はどれほどのものか把握できない。休ませたい。
 今夜はベッドで眠れるだろうか。ベンチでも構わないが。
 頬になにか触れた。
 雨だ。
 まずポツポツと降り始めて、瞬く間に土砂降りに変わった。雨雲の気配に気づかなかった。風はなく、雨は垂直に落ちてくる。
「ラッキーだったな」カザミがいった。「これで洗える」
「すごい雨だね」
「恵みなんだろうよ」
 僕は近くにあった石に座り、靴と靴下を脱いだ。雨に当ててじゃぶじゃぶと土を落としていく。雨量が多く、汚れが落ちるのが早い。
 カザミは天を仰いでいた。目を閉じて顔に雨を当て、そうして両手で顔と髪をこすった。その様子がシャワーを浴びているように見えた。
 僕が簡単な洗濯を終えても、雨は上がりそうになかった。ふたりともずぶ濡れだ。風邪を引かないうちに行こう、とカザミを急かした。
「ちょっと待ってくれ」右腕のガーゼをいじっている。「かゆくなってきた」
「濡れたからかな。やっぱり医者に診てもらおうよ」
「当てはあるのか」
「フライさんから病院の住所をもらってる。たぶん街の中だね」
 そうか、といいながらガーゼをずらし、眉間にしわを寄せた。
「確かに医者行きだな。腐るんじゃねえかこれ」
 また歩き出す。やがて土の地面は途切れ、代わりにボロボロのアスファルトが靴に当たった。これでもう汚れないだろう。
 振り返る。雨のせいか、コシャリたちの姿は見えなかった。白っぽい視界の中、崖がうっすらと浮かぶ。見えない底の黒さ。
 先に進んでいたカザミが呼んだ。僕は早足で追いつく。
 雨に洗われながら街へ向かう。

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