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断片 世に果てはなく

 旅行をするのが難しい状況になって久しい。パッと海外へでも行きたくなり、そのままの勢いでバックパックを背負う旅、千里の道も成田からというやつ、そういうこともできなくなって、海外のみならず国内ですらやや移動は厳しい。半端な旅人だった頃のことを思う。どこまで行ってもこの世界に果てはなく、果てというのならあるいは、それぞれの場所が果てのひとつひとつだったのではないか。そんなどこか遠くへ自分を放り投げてしまえる旅を懐かしむ。まだどこかへ、果てだかなんだかの場所へ、いつかは行ける。

 腹はへってもプチ断食の日々。いかに目の前の菓子を食わずにいられるか、長い長いマシュマロテストである。とにかく痩せなければならんので、歳のことはいいたくないが私もこれで中年の身、無様に腹が出ているのをなんとかしたくてプチ断食をやっているのだ。これはなかなかに効果がある。軽いファスティング、三日もやればだいぶ腹はへこむ。しかし罠がある。ひとたび気を抜いて食えばすぐにリバウンドするのだ。してみるとダイエットとは生きる限り続くもの、一時的な活動ではなく継続される生活のことなのではないか。食いたいだけ食えた頃が、その頃の自分が羨ましい。何を食っても太らんかった。

 最近わかってきたこと。物事を決するに三つの要素がある、才能と努力と運である、と、このように思うのであった。これがどんな謂か。何かを成すのにはこの三つが揃わなければならない、ひとつとして欠くべからず、そんなところである。このうち才能はどうしようもない。あるならある、ないならないで、それぞれのケースの戦術を考えるだけだ。なお、何かを好きだというのはそれだけで才能だ、とはいわれる。一方で、努力はなんとか人の意志によってできる類いのものである。努力できるという才能、といった考え方を抜きにすれば、万人に努力の機会はあるんではないか。最後に運。それについては、私の思うところ神頼みをするしかない。しかし巷にあるような、運気アップ、みたいな種々のものにふれてみるのもなかなか一興で、ついてなかったらなんとかすることはできる……とはいうのだが。各自ご判断を。

 イギリス弦楽小曲集、というシリーズがある。タイトルの通り、イギリスの弦楽の小曲を集めた、そのアルバムのシリーズである。たぶん第六集まであって、これがまたどの曲も甘く罪のない、ミルクセーキのような音楽なのだった。たまに聴いてみれば、ちょっとした心の疲れなどすっと溶けてなくなる。音楽が好きだとはいえ、前衛やら長ものやら、ゴツい交響曲やらを聴きたくないときはあるもので、ならばこそそのとき、こうした軽やかな楽曲を求めるものであるなあ。それでいてイージーリスニングのようにはならず、きっちりとクラシックの文法ないし語法になっているように聴こえる。ああ、音楽を聴いたな、というふうに満ち足りる。いいものです。

 読書をせねばならない。いや、読んではいる。だがもっとガツガツ読まねばならない。私には読書量が常に理想に追いつかないという厭な業があるようで、いやまったく、しんどいことだ。今月も残り少ない。読みやすい文庫などを数冊ピックアップして、読んで、そうして自分を褒めてあげたい。そうかそうか、これだけ読んだか。よくやったな俺、と労いたい。だいたい多読こそが肝心と知りながらたいしてやっておらぬのだ。いったいこの先このままでなんとかなるのかならんのか。運命が失踪している。どうにも読めないような私の未来。



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