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断片 自分の番号の札

 マイナンバーカードを直訳するとそうなるのだろうか。自分の番号の札。自分番号札。昨日それをとってきて、今後とりあえず五千ポイントを回収するタスク。支払いにあてよう。前後してクレカの更新分のものが届き、また他にネットショップのポイントサービスの再発行分のも届いた。まったくカードだらけである。ひとつひとつ処理をやっている。めんどくさい。でもまあメリットのほうに目を向けて、もらえるもんはもらっていくスタイルで行こう。チリツモということは実際にある。なかなかそいつが侮れない。じっくりと効いてくるものだ、チリツモ。

 極度の近視である。眼鏡野郎歴が長い。最近また見えづらくなってきたような気がするものの、これ以上度を上げると牛乳瓶の底みたいになるだろうので、眼鏡をかけて0.7くらい見えてればよしとしておこう。そうしておいて新しい眼鏡も欲しいですなあ。ファストファッション的な店で買ってこようと思う。一本四千円とかのな。実は度入りサングラスが欲しいのだが、昨今マスク着用の社会環境ゆえ、サングラスにマスクは不審者っぽくてよろしくないのかもしれない。そこで色つき眼鏡ならいいのではないか。薄いブラウンないしブルーが入ってるようなやつ。色眼鏡。欲しいじゃん。

 一月も終わる。もう一年のうち十二分の一が終わるのだ。早すぎる。ああ、これはうかうかしてると死ぬわ。やりたいことは後回しにしてはならんね。時間切れというものがある。生きてりゃ死ぬので、なんだろう、どう生きたかで死に際の走馬燈みたいなもんが変わってくるんじゃないの。あるいはあの世だとか。そうはいえどう生きるのが正しいということはないらしいが、自分と他人に利するというのが私としては魅力的なことだ。やりがいがそこにありそうで、そして小説によって自他を利することが叶えば、私の人生の決着に他につけ足すことなどないだろう。

 コンサートは本当によかった。一曲目、協奏曲ではソリストがめちゃめちゃうまくて驚きうっとり、のち交響曲では指揮者の個性全開の大爆発、あの日あのコンサートホールで宇宙開闢が起きていたのをひそかに私は知るものである。オーケストラというのはこういうことができる集合体なのかと。ともあれ思い出になるね。すげえ体験をしたものだ。もう普通に追いかけますよあの指揮者を。無視できねえだろあんなの聴いちゃったら。極めるってすごいよなあ、って思って帰ってきた。私も自分のやることを極めよう。襟を正すというもの。真剣にやりゃあなんでもなんとかなる。なるのか。どうなのか。どうですか。そうですか。

 断片の五ブロック目が読書通信欄みたいなことになっている(四ブロック目は音楽通信欄)。そこでまた読書やら書物やらの話でも書こうかとしてみれば、いやはや、読むのは別にいいがまた買い足してるのが問題、貧乏やあゆうてるやんけ、あんまり買うのもどうなのかと。でもまあ他にさほどカネを使わないのよね。CDくらいか。そうしてたとえばメシなど松屋で十分なんだから。あとはウイダーインのパチもん、九十円のやつだとかさ。そこへきて最近は軽めのファスティングをしているんで一日一食半くらいでやってて、じゃあ食費のぶんを本に回せるよな、というようにして本を買っているのだった。書物なき部屋は魂なき肉体のごとし、とは本当のことだと思うので、魂をでかくしていこうみたいな作戦として本を買って、どれでも全部並べていくのもいいんではないの。あとは読むことだな。積ん読を読んでも読んでも。



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