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断片 無力な市民ですが

 疫病とか噴火とか戦争とか地震。世界が終わるような感じがひしひしと、みたいな昨今、やれることは全部やってから終わりたいなあ、などと思うものですが。どれもこれもなんでもないような形で済めばいいんだが、そうもいかないのだろうとも思うし。戻らないものも多いし。世界史的な悲劇に対して私のごとき一般市民はやっぱり何もできないので、そういう点では無力感がある。そうして、無力感がありますよ、といってみたところで何も変わらないわけで、こうした語りの意味のなさもあるなら、黙るしかないのかもしれぬ。

 寒の戻りなどありつつ春はすぐそこ。あるいはいまが春。ここいらではぼちぼちと桜がつぼみをつけていて、咲きますねこれ、早晩。カメラ持って撮りに行こう。桜は撮らなきゃいかんでしょう。楽しいでしょうそれ。あとなんだー、春のなんだろう。古本まつりは行ってきたんでもういいか、と思うもまだ開催中ではある。もう一度行ってきてもいいのよ。ナイスな本との楽しい出会いがあるよ。もうね、カルヴィーノやらアウグスティヌスやらジョルジュ・サンドやら、こないだはいろいろ買えちゃったのだった。ただし買いものの半分はディスクだったりして、ボロいけどめっちゃ安かったからね、ホロヴィッツにアルゲリッチにといってみたものだ。春は楽しいことがありますなあ。

 これパソコンで書いてるんですけど、普段使ってるデバイスは置いといてですね、キーボードの交換をしたので慣らしを兼ねての打ち込み書き込み。やはりでかい画面というのはいい。見やすいし姿勢も正しい感じだ。音楽を聴きながら書いておりますよ。そんでキーボードも、おお、これは悪くない。昔パソコンを買ったときについてきたもんで、予備としてどっかその辺に放置してたものをいまつないで使っているんである。ストローク、というのか、キーの深さがもうちょっとあると好みなのだが。

 ディスク61枚をパソコンに、ひいてはiPod Touchに流し込んだ。iTunesにはいまや20000曲以上が入っている。アホなくらいの曲数であって、これをiPod Touchに入れるともう余裕はあまりない。256GBが埋まりつつある。こうなってくると次のやり方を考えなければというところ、二台持ちだとかね、あるいは新型で512GBとか1TBとかの発表を待つだとか。いったいそこまでヘヴィに使うユーザーはどのくらいいるのか、売れるのかそれ、というデバイスを俺なら買うのだろうと思う。流し込むのに苦労してもやり続けている。今回これ二日がかりだったからね。疲れては休憩してと。しんどいわ。でもやっておくといつでも素早く聴けるので、やっておくに越したことはない。

 読書というのは、えー読書というのは。部屋を埋める本たちをめくってみればどれもこれもおもしろそうなんであって、こんなのどれでも読めばいいんじゃないのと。何を読んだって足しになるよ。そのように有益なものばかりを集めたつもりだ。読んだものも読んでないものもすべてすばらしいことであろう。ただし今月ろくろく読んでない。時間がなかったのかというとそうでもなくて、なんだろう、他のことやってたのかな。ダラダラ生きてるわこれ。どんどん読んで書いてとやらねばならない。書くほうはなんや紙のノートには書いてる。二種類のノート、それぞれ三枚ずつの日課。こうやっていっていいことあればいいが。



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