見出し画像

11/25 左利きのエレン企画が我々の限界なら広告会社はとても危うい

今後のために自分でも振り返っておこうと思う。

このような企画はとても素晴らしいのだが、これが広告会社の限界だとすると我々の存在はとても危ういと思う。

危ういと思う理由は2点。

1.この企画が大手ではなくGOさんから出た企画であるということ
2.メディアの本質を見抜く人が広告やメディアではなく他業界にいるということ

まずは総論的なところから新聞広告を俯瞰していきたい。

新聞広告はその”オールドさ”が際立つメディアなため、ひとたび話題になると瞬く間にネット上で拡散する傾向があるように思う。昔から新聞広告というのは都度つど話題になっていた。

・日産Note(朝日新聞)

画像1

・ワンピース(全国各紙とタイアップ)

画像2

いずれも普段新聞を読まない人たちが広告欲しさにその日だけは新聞を買い漁ったとか。いずれも、フロー(情報)として流されてしまうはずの広告が、作品(コンテンツ)としてストックされる稀有な事例だったように思う。

保存性が高い紙媒体

それらの企画が消費者に受け入れられた要因の一つに高い保存性が挙げられると思う。(ネット上の情報もスクショするなりして保存しておくことができるが)。加えて、発行日当日しか購入することができないため、話題になればなる程にレア度が高まる。それに伴いオークションサイトでも本来の価値以上の値がつくこともある。新聞が本来の情報をデリバリーする価値以外に、作品として保存したくなる価値を持った時に、大きく話題になったように思う。

既存の枠から大きくはみ出る企画

しかしながら、それでもまだ新聞やデジタルの既存の取り組みの枠からは出ていないのではないかと思う。その点で、我々の限界がここならば広告会社の未来はとても暗い。

それは以下のような取り組みが既に行われているからだ。

以前、「実験思考(光本勇介著)」で本の価格自由という取り組みが行われた。ネット上で0円でダウンロード可能で巻末にあるQRコードから、自分がその本に支払っても良い金額を支払うという仕組み。1万円支払ってもいいし、0円、つまり支払わなくても良い。そんな取り組み。

書籍「実験思考」の価格を読者の自由に委ねてみたら定価で売った場合より儲かるのか?という実験に関してですがお支払い頂いた総額が1億円を超えましたので一度、停止をさせて頂きました。
※下記サイトより引用

その後にホリエモンは一段進化させ、まさにAKB商法のように「本はあくまでその後のイベントに参加するためのチケットである」と言わんばかりの取り組みを行った。実際に2,000万支払ってホリエモンと会社を作ろうとする人もいたから彼の慧眼といえるのだろうか。

光本氏、そして堀江氏取り組みは「あくまで本は媒体(コミュニティへの参加券)であって、それ自体には価値をもたない」(厳密には紙代、印刷代、輸送費などのみ)。コンテンツの価値は事前に決める必要はなく、読者が自分で決めればよい、という強いメッセージだ。

新聞紙それ自体に価値は無い

新聞に掲載された情報が価値を持っていたのは過去の話。

速報性でも詳細の度合いにおいてもウェブ上のコンテンツには劣る。極論かもしれないが、新聞でしか読めない情報が無い限り、そしてそれを読みたいと思う読者がいない限り価値が生まれない。

朝日新聞社メディアディレクターの高橋万見子氏が以下のように話したのはそういうことだろう。

「紙の新聞が各家庭にあるのが常識という時代は、終わりました。世の中の大きな変化に、新聞が追いつけていない。このままでは新聞はいらないモノになるという、危機感はあります」

作り手がそれを受け入れられるかどうか?

新聞や雑誌、書籍などその紙自体には価値が無い。作り手がそう思えるかどうかが、こういった取り組みを積極的にできるかどうかの境目になるはず。

昨今、話題になった広告には共通点があると、高橋さんと五十嵐さんはそれぞれ口にする。それは、単にモノを売ると言うより、地球環境や社会問題に対する「企業の姿勢や思想を訴える広告」だ。
(※本文より引用)
「例えば車にしても、かっこいいでしょだけではもう売れないと思っていて。環境問題に配慮した車を作っていますとか、こういう人がこんな思いで作っていますを伝えることで、購買が変動する」(五十嵐さん)
※本文より引用

企業の姿勢や思想を訴える広告と新聞の親和性が高いことは間違いないが、それ以上に消費者が何に価値を感じているか?がより重要なように思う。

光本氏や堀江氏が行う取り組み(お祭り)に参加したいと思う人は、彼らが値段を前もって1つ設定しなくても、好きな金額をそれぞれに支払ってくれる。それでいいじゃんということ。

それを「時代の要請だから」「読者がそう求めるから」と割り切って考えること、それを楽しめることを”時代に即した”取り組み”、”時流に乗った人たち”と呼ぶのだろう。

大企業の中にいて、それが出来る訳がない。

左利きのエレン企画を生み出せていない現状を棚に上げていうのも気が引けるが、この企画をショーケースにして各社が同じ方向に突っ走ってしまうと、とても不味い。我々はこれ以上の企画を、光本氏や堀江氏が考え付かないようなメディアの使い方を考える必要がある。

時代が何を求めているか?それに気づく広告会社の優秀な人は多いはずだ。しかしながら、それに気づいていながらも対応できなければ我々は淘汰される。色々と理由をつけて出来ない理由ばかり探していると、とっても怖い未来が待っていると思う。

自分、背筋を伸ばして頑張ろう。



もしサポート頂けることがあれば、それは金額の多寡というより、そのお気持ちが私に多大なる自信を与えてくれます。それに感謝致します。