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4/16 広告は時代を映す鏡なの?

久しぶりに広告について考えてみた回。キッカケになったのは坂井豊貴教授(慶應義塾大学)の以下のツイートです。

広告って何も業界の中の人だけが語っていいものではなくて、こうして色々な方面の方からご意見頂けるというのは非常に有難いと個人的には思う。しかも、表面的なことではなく本質的なところで語って頂いているのは大変参考になる次第です。

さて坂井教授のツイートでも触れられていましたが、業界内で毎年話題になる広告というのがいくつかあって「ポカリスウェット」「カロリーメイト」がそれに当たります。どちらも大塚製薬の商品、そしてどちらもメインターゲットが中高生というのが非常に興味をそそられるところです。

広告は世の中を映す鏡

そう言われていたのはテレビの影響力がとてつもなく強かった昔のこと。インターネットやSNSの方が世の中に与えるインパクトも大きくなった現代では、果たして今でもそうだろうか?と思われる部分が大きいかと思います。とはいえ、そんな環境下であっても世の中の空気感を上手く感じ取って消費者からの支持を得られた商品(とその広告)は、売上的にも期待したものを返してもらえる。消費者からの支持というのは、例えば社会的・文化的支持とでもいえばいいでしょうか。

画期的な機能が備わっていたり価格優位性があったり、商品そのものは優れているのに広告プロモーションを間違ったために消費者の支持を得られないものがありました。一方で、商品自体がパッとしていなくてもプロモーションがうまくいったために売れた商品というのもあるだろう。

今回取り上げた「ポカリNEO合唱」はかなり高い評価を受けているようだ。それは、「コロナのピンチをチャンスにした」「こんな方法でCMが作れたのか」といった制作者目線のものが大半だったが、私が知りたいのは、これが令和という時代のなかでどう位置付けられ、次にどんな影響を与えていくかだ。その点で、坂井教授の視点というのは改めて参考になると思う。

この動画は現代に生きる中高生たちを企業側が(つまりは大人が)どう捉えているかの1つの回答だと思う。現在進行形でバズワードになっている「Withコロナ」「Afterコロナ」。コロナ以後の時代を考えるにあたり、ポカリNEO合唱が提示したような「離れていても私たちはひとつ」という価値観をどう捉えれば良いのだろう。

繋がること

今秋からは5Gの運用が開始され、VR(Virtual Reality)やMR(Mixed Reality)が社会実装される世界では”繋がる”という概念自体が変わっていくように思う。なぜなら、常時接続の時代になれば”繋がっていない”状態がなくなることを意味するので、もはや繋がって”いる”繋がって”いない”かは早々問題ではなくなるはずだ。

現代に生きる中高生がLINEをはじめとしたSNSで友達たちと”常に繋がっている”ことに大きな価値を見出していることは周知のことだが、そこに功罪が生まれていることも誰もが知っている。これからも、繋がりが彼らにとっての大きな価値であり続けるのだろうか?

少し話は逸れて我々大人たちについて考えてみたい。年が明け暫くして在宅勤務が推奨されるようになった。業務がほぼオンライン上で完結している業種や業界もあるだろう(在宅勤務ができているのは大企業やスタートアップだけという話だが)。その時気づくのが、「なんだオンラインでいいじゃん」ということだろう。日々顔を突き合わせて仕事をすることが機能的にも情緒的にも重要だと思っていたが、「必ずしもそうじゃないかも」と思い始めた人も多いと思う。特に我々の親世代には、むしろそう思って欲しい。

リアルな接触は家族親類と一部の仲の良い友人、オンラインでの繋がりは主に仕事という風にパッキリ分かれたのではないだろうか。大人たちこそ”繋がることの価値”をどう捉えているのだろうか?

「常に誰かと繋がっていたい」。初めにそう思ったのは中高生だったのだろうか?そういう未来を描いて現実に実装したのは大人であって、そんな世の中に真っ先に順応したのが(ネット依存やらネットいじめやらと言われた)中高生なんじゃなかろうか。広告制作者は中高生たちが持っている空気感を上手に掬いとって、それを広告用に綺麗に仕立て上げているように思いがちだが、むしろ逆だろう。我々大人たちが作った空気感を中高生が彼らなりに咀嚼して表出した結果を改めて見ているだけだ。

広告が世の中を映す鏡なのではなく、広告は大人が描く近未来だろう。

私には今のところ、大人たちこそが”繋がり”というのをとても重要視しているんだと感じる。自粛自粛と言われたにも関わらず個人の、そして社会の危険を顧みず街に繰り出したのは何も若い人だけではない。孤独に耐えられず繋がりを求めてしまうのは、むしろ大人たちの方なんじゃないか。

このコロナウイルスがもたらした混乱を我々大人の側がどれだけ咀嚼して次に活かすことができるのか、ここでまた大人が試されているんじゃないかな。自分自身もだけど。

非常に興味深い。


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