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9/11 会社を変えるとか変えないとか

偶然こんな記事を見つけた。

まず、それがオフィシャルであれアンオフィシャルであれ、多くの人がノスタルジー的感傷を持ってこのように言う。

「昔は、スゴかったですよ。いろんな意味で。夜中の12時ごろまでお酒を一緒に飲んでいたのに、その後、電通の人はオフィスに戻って、朝まで仕事しているなんて、よくありましたから」

「それに、いまより、もっと恐かった。枠の料金交渉をしようとしたら、『電通と交渉するなんて、お前も偉くなったものだな。お前のところの、役員に言っとくぞ』とか言われて、その圧力が半端なくて、ビビってました(笑)」

「でも、電通の人は、みんないい人なんですよね。心根は優しい、親分みたいな。昔は、電通に頼っていれば、心配しなくても、新聞広告は売れたんですよ」

「昔は~だったんだよ」みたいな話はもう聞き飽きたし、それを武勇伝として語り継ぐ語り部になってしまうことって、個人の役割としてどうなのかと思ってしまう。悲しい事件が起きてしまったことは忘れてはいけないが、飲み屋の会話的な感じで口伝されてしまっては笑い話にすり替わってしまわないだろうか。

脱線してしまいました。この記事の本質はここではなかった。

電通の1位に対する強いこだわり

私の知る限り、電通には1位に対する強いこだわりがある。博報堂との大きな違いはここだ。もちろん、だからこそ、業界1位なのだと思う。しかし、1位になるためには手段は選ばない。若い社員が長時間労働で鬱病になろうとも、とにかく1位になればいい。極端にいうと、そんな感じが否めない。

だけど、そこには、魂がない。

鬼十則がプラスの意味で語られていた時代はとうに終わったのだろうか?「何としても勝つ、勝つといっても僅差ではダメだ圧倒的な勝利だ。」そんなことを言われたことがある。多くの人がスポーツで勝負の世界に生きてきたことはそのカルチャーの一端であることは相違ないだろう、欧米の外資系金融も軍隊のような統制、というより実際に元軍人がいたりするくらいだからそりゃ勝ちに飢えた人たちが多そうなのも理解できる。

電通は軍隊ではない、しかし軍隊のようだ。

もし仮に電通が広告業界の1位から落ちることがあれば、それは海外も含めた大ニュースになるだろう。しかし、海外企業を立て続けに買収し世界的なエージェンシーになった電通が日本国内で1位から陥落することはほぼ無いだろう。国策として電通が分社化されたら分からんが。

だから、組織としては1位でなくなることはまず無い。

ではミクロ視点で個別案件で他店に競合プレゼンで負けることはあるだろう。恐らく、それすらも彼らは許さないだろう。広告業界は個人商店の寄せ集めと良い意味でも悪い意味でも評されるが、個人でも負けず嫌いが多いので自分の中の1位を目指して頑張ってしまう気がする。

しかし、本記事書き手の有薗氏が仰るように、

電通のなかには、この息苦しさを当然と思っている人、あるいは、息苦しさに気づいていない社員が多いようだ。そこに悪意はないのだが、この息苦しさが、高橋まつりさんの不幸などにもつながったのではないか。

誰もが負けず嫌い精神を持った鉄人でない以上、同一の価値観でもって企業経営していくことは限界だ。

この日本を代表する日本的企業が、どう変わっていくのだろうか。正直想像がつかない。でも電通が変わるのなら、日本という国も人の手で変えられるのではないかと夢想した。


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