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6/10 逃げるために働く

サムネイルはむかしの日記帳の1ページです。

今でも日記をつけていますが、疲れていた当時はオフィスを出た時間しか書くことが出来ませんでした。日記というより記録。たまにふと休職する前のことを思い出してつい見返してしまう。

あの時の自分はやたら周囲に攻撃的だったような気がするし、異常に食べていた気がするし、常にどこかしら身体が痛かった気がする。もうあんな働き方はしたくないなと思う。

別に辞めようと思えば辞められたと思う。
責任感が強すぎたのか、一度始めたことは最後までやり通したいという気持ちが強くて仕事から抜けられなかったように思う。そんな私の気持ちを知ってか、仕事がどんどん降ってきた。スキルも経験も無い訳では無いから、「取り敢えずこいつに任せておけば大丈夫」的な感じだったのだと思う。今思えば来る仕事をほぼ全部受けていたのがダメだったのだけど、楽しい仕事もあったしまぁいいかと思っていた。(もちろんゴミみたいな仕事もあって「俺ってゴミ箱みたいな役回りだな」なんて深夜のオフィスで考えたりもした)

結局、心は擦り減り身体を壊して2ヶ月休職した(休職といっても溜まっていた有給を消化する感じで、ほぼ欠勤になったのは数日なのだけれど)。なーんもできなくて、Twitterすら見る気にもなれず、ボーッと本読んだり散歩したりしていた。

その間に決めたことがある。

それは何かあれば逃げるということだ。

しかし、ただ単に逃げる訳にはいかない。生きていくにはお金が必要だから。だから私は逃げるために働くことにした。会社は道具として使い倒すことにした。どう使い倒すかというと、先ずフリーランスとして働いている友人とビジネスを始めることにした。最終的にはそちらの仕事をメインにするつもりで、会社員として行う仕事は全て「友人とのビジネスに活かすためにはどうすればいいか?」という視点で取り組むことにした。得られる経験も、知識もスキルも、コネクションも、全てを新しい仕事に繋げるよう意識している。それに”使い倒す”と言っても、会社にフリーライドする訳ではない。使うからには、むしろ積極的に仕事には関わる必要がある。売上も上げる必要がある。そう考え始めてからの方が、よほど前向きに取り組んでいると思う。

副業だなんだと細かいことは気にしないことにした(まだ収益は出ていないし。だが事業の構築は順調に進んでいると思う)。年内にはある程度の利益が出るように見込んでいるが、正直なところどうなるかは全く分からない。平日の仕事終わりや土日をプライベート仕事に充てているが、それでも働くにあたっての気分は良い。逃げ道を確保しておくことでこんなにも楽になるのなら、早めにそうしておくべきだったと思う。

会社で働くことを否定したいのではない。会社員として働くのが性に合っている人もいる。合っていない人もいる。向き不向きの問題なのだ。私は休職を挟んだ時点で会社に長く務めるということを諦めた。無理だと思ったのだ。

逃げるのは良くないと言う人がいる。そうかもしれない。「逃げ癖がつくとどこに行っても逃げ続けることになるぞ」なんて脅迫じみたことを言う人もいる。そんなもの言わせておけ。逃げることで何かが前に進むのであればどんどん逃げろと言いたい。結局、行動する主体(つまり自分)が納得しているならそれで問題ないのだから。

世の中は働き方改革だなんだと騒いでいたけれど、結局自分の生き方は自分でしか変えられないし、先ず自分の人生を自分の手に取り戻すべきだと思う。私が良くなかった点は会社に自分の人生を預けようとしてしまっていたことだ。会社員根性が染み付いていた。そもそも会社員として働き続けたいかどうか?というのを我々は今問われているのだと思う。コロナ禍で在宅勤務をしている人も多いだろうが、まさに考えるための良い機会になっているんじゃないか。

昔「何のために働くのか」というタイトルの本を見かけたことがあるが、今の私はこう答えるだろう。

逃げるために働くのだと。



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