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行先は自分で決める ~課題の分離~

嫌われる勇気 No23 対人関係のカードは常に「わたし」が握る

世界の真ん中に自由のレッドラインが引かれている。さぁ、どちらに進むか。

対人関係のカード

課題の分離も大詰め。承認欲求を捨てた自分の課題世界と承認欲求を追い求める他人の課題世界、その二つを分かつレッドラインを意識すること、その重要性を哲人は一貫して主張します。そして、話は、その選択の仕方に及びます。

哲人は、課題の分離について、自らの例を出します。哲人は、父親との関係が悪かった。過去に殴られた思い出。かつては、「あのとき殴られたから関係が悪くなった」と原因論で考えていた。しかし、アドラー心理学に、そして、目的論に出会い、「父との関係をよくしたくないために、殴られた記憶を持ち出していた」と考えを改めたそうです。

そこで青年がドンピシャのラストパスを出します。「仮に因果律が逆転したところで、~具体的になにが変わります?」ナイス青年。確かにそうですね。例えば認知行動療法という心理療法がありますが、そこでは、簡単に言ってしまえば、”自分の思い込み”を改める作業をします。意識的には今までの考え方が単なる思い込みであったと気づいたとして、何が変わるのか…

哲人は言います。「これは、対人関係のカード、という観点から考えると良いでしょう」と。「関係修復のカードはわたしが握っていることになります。わたしが”目的”を変えてしまえば、それで済む話だからです」さらっと仰います。そして、そこで課題の分離である、と。父親が変化するかどうかは父親の課題であって、わたしには関係ない。私の課題は、関係修復を決心するかどうか、というわけです。

対人関係のカードは常に「わたし」が握っている

そう常に、カードは「わたし」が握っている。

以前私は、ある大学病院で研究の手伝いをしていました。その研究自体は、とっても大切な研究。私はその基となるデータを収集する形で関わっていました。しかし、徐々にその作業が大変になっていきました。ある時、「この研究、自分は、なんのためにやってるんだっけ?」と思いました。依頼されて、その依頼通りにデータを収集する。そして、その結果を学会や論文で発表し、承認される。

とっても不自由でした。でも途中で辞めてしまったら…、依頼してくれた医師の期待を裏切る、その研究を紹介してくれた先生のメンツを潰す…。承認欲求を求め、嫌われることを恐れていました。

結果として私は、その研究協力を辞退し、結果、その大学病院との関係が途絶えました。後悔はしていないつもりです。

哲人は言います。「対人関係というと、どうしても”ふたりの関係”や”大勢お関係”をイメージしてしまいますが、まずは自分なのです。承認欲求に縛られていると、対人関係のカードはいつまでも他者の手に握られたままになります」。そして、問いかけます。「人生のカードを他者に委ねるか、それとも自分が握るのか。課題の分離、そして自由について、もう一度ご自宅でゆっくりと整理されてみてください」と。

哲人は、その後、お父様とどうなったのか。

是非、嫌われる勇気、にて結果を読んでみて下さい。165ページからです。


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