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5月28日の日記(家族介護の限界)

今日は土曜日。1週間は早い。

最近の私は実家の母の様子を土曜日に見に行っている。(必要だと思えば日曜日も実家に行く)

2~3か月前から 少し気になることがあったから。

実家の母の徘徊が今年の1月から 酷くなっている

兄が鬱っぽくなっている。精神的にも きている様子。

今年は 1月だけで警察に5~6回 お世話になっていると兄が言う。


今日も 実家に向かう途中  午後3時頃 実家の近くの小学校で

母と兄が大きな声で話をしているところを目撃してしまった。

あんなに大きな声で話していたから 周りの人も 気づかない訳もない。

信号待ちの車の中の人も 歩いている人も 何人も見ていたことだろう。

私が信号待ちで 母と兄に気づき近づいて行くと

兄が 母に何度も家に帰ると説明している。
しかし母は 分からない様子。

家に帰ると言う母に 兄はキレて手をあげてしまった。(頭を叩く感じ)

私はショックだった。母に手をあげる兄も 相当 困憊している。(外国人の男性が近づいて来てあれは良くないよ。と兄に言っている様子。兄は男性に説明している)


母は家に帰ると違う方向を指差し 兄から遠ざかって行ってしまった。

母は そのあと 信号が赤にも関わらず 渡って歩き始めた。

私は心配で 母を追いかけようとすると 兄は行かなくて良い と言ったが

母は また迷子になるだけだと思い 気分転換に散歩して来ると 兄に言った。

母が見えなくなる前に 信号の向こうにいる母に

私は言う。「 お母さん 散歩行こう」と誘う。

母も 私といるほうが まだマシかもしれないと思った。

母はいいよ!と その場で大人しく待ってくれた。


私は青に変わった瞬間 素早く信号を渡り 母に近くの公園まで行こうと言った。


少し話が逸れます↓↓↓

母の認知もかなり進んでいる。排便も
母の自室にあるキッチンで用を足す始末。(兄情報)

多分 家族が誰なのかもう分からない。


兄のことを兄妹だと思っていたり 私は多分 ヘルパーさんだと思っている母。


兄も疲れのピークなのか 先週 私にもう疲れた。限界を超えている。家で見れないと話してきた。


母を生活保護にする話もしたが 多分 仕事をしながら 役所の手続きもままならない兄。


私が手を出すと 前みたいに ずっとやり続けないと 責任を背負いがちになるので


もう自分すら 背負えない私は 自分のできる所までのサポートに 抑えている。

私は日中 時間もあるし 手伝うこともできるが 体調が悪くなった時のことを考えると

進んでサポートもできないし 多分 私も潰れるだろう。

介護は大変なのは当たり前だが 体が動く老人は 最高に厄介だ。

介護鬱になる人のほとんどは 精神的にも肉体的にも ご老人より繊細だ。

ご老人のほうが元気な人が多いのだと思う。


昭和の戦争を耐えてきた ご老人は 食べられない経験をしているからだろうか 生命力が強い。

しかも 足や心臓も強く 何故か そういう人に限って 信号無視しても 事故に合わない。

さらに 強運の持ち主なのか?骨折や怪我もしない。

私も前にサービス付き高齢者住宅で働いていたから 似たような人を知っている。

昔の人は 生命力も 運気も強いんじゃないかと思う。


話が それてしまったが 母と少し話をしながら歩く。

母のイライラした口調も 兄から離れれば 落ち着く。

近くの公園のベンチで 腰掛け 前回 母の履いている靴の消耗が酷くて 義姉に話をしたところだった。


そして 公園のベンチで少しゆっくりしてもらい

私が持ってきた麦茶を飲んで貰った。

母の靴の減りは 先週と変わらず かなり消耗している。

そこで私の履いていた靴の中敷きを入れてみるとちょうど良いと。

少し長さを調整し 私の お古を履いてもらう。(お古でごめんね。お母さん)


母は足の裏が少し楽になったみたいだ。


ずっと歩いていたのか 足を触るとハリが強く浮腫んでいる。

なので 足の裏から膝周りまで軽く さすったり押したり 筋肉を緩ませようと温めてみた。


右足のアキレス腱が ビビっとして痛いと言う母。

右の靴の中は 酷く消耗している。それが原因か。

靴はこまめに何足かあれば良いが 何故か一足しか持っていない。

家族も 母のことばかり考えていられない。

私がやると当たり前になるから 手出ししない。


また話が戻るが 兄が言っていた言葉を思い出す。

「土日の休みも 休みじゃない。疲れる」と。

家族介護は何時 終わるか分からない。エンドレス。


先の見えないトンネルで ずっと さ迷っているようなものかもしれない。

近所の福祉事業所のケアマネさんにも以前から(3月~)相談していると聞いていたが

ここ数ヶ月 話が進んでいなかった。


やっと 介護認定を6月1日に受けられるようだ。

実家に福祉訪問員さんが来るらしい。

介護認定を要介護2から要介護3に認定できるか 実家に調査に面接に来てもらう。

母は認知が進んでも足腰がしっかりしていて介護3は厳しいかもしれない。

このままでは 兄が先に倒れるのではないだろうか?

月曜日に 地域包括支援センターに電話しようと思う。

前にも一度お世話になったが もう一度 早めに相談しよう。

特に 兄が先に倒れて入院するのではないだろうか?(私はこればかり気にしている)


母の受診や食事 服薬 全ての管理を現在まで2~3年 兄が担当している。  大丈夫だろうか?

兄には感謝しかない。介護は受ける方も
やる方も きつい。

辛いのが当たり前が 無くなる世の中で無ければ

もう介護を頑張れる人は 介護の仕事を続ける人は いないのではないだろうか?


昭和から平成 今は(/ ・ω・)/[令和]。

地の時代から 風の時代 もう頑張る介護は終わりにしたい。

頑張らない介護が来る日をが待ち遠しい。

もっと得意な人に お願いして助けてもらっていい時代が来たのだから。

どうか兄が倒れませんように。

母がショートステイや 生活保護受給者に なれますように。

たくさんの人の 助けが受けられますように。

私は 明日も 実家に行くことだろう。

無理はしない。できること やってあげられることをやってあげるだけ。

心を軽く 楽しく 母と 素敵な時間を過ごしたい。

心地良く安心した時間を 心を 通わせるだけで

穏やかで 安定 安心 幸せが見つけられると思う今日この頃。

今日の出来事はショックだったが 全て良くなるための膿を出す出来事だと捉えて行く。

人生は 良くなることしか起こらない。

きっと良くなる ! 母も兄も私も 超えなきゃならない試練をいま試されている。

家族介護の限界を目の当たりにした一日だった。


この記事を読んでくれた皆さん ありがとうございます。

自分の幸せを一番に考え 心と体を休ませられますように。

あなたが幸せであれば 周りの人達も幸せです。

最後まで読んでくれてありがとうございます♥♥♥ 



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