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寿司日乗107

2021年1月31日(日) 晴れ

12時半起床。
今日で1月が終わるなと思いながら布団の中「なんというミッチリしたひと月だったのか、いや…早いと言えば早いが、(時間の流れが)遅くも感じるひと月でしたな、ところで何もしてないひと月じゃないかどうだ、おい」長い心の独り言。月が変わるだけで幾分か気分が変わるのはまだいい。「今日は日曜日だからね、何もしないよ私は」独り言。

13時半。
掃除機をかける。テイクアウトした弁当を食べ終え、録画していた百恵ちゃんのラストコンサートを観る。円盤店番時に観て以来だから10年振りのラストコンサート。その時は曲を数曲聴いただけで、通しては観ていなかった。今回はMCまでしっかり聞ける。最初は寝っ転がって観ていたのだが、途中から正座して観ていました。この「全国横断ファイナルコンサート MOMOE FINAL THIS IS MY TRIAL」は1980年当時、札幌、福岡、大阪、名古屋と巡業を続け、最後が日本武道館だったわけですが、武道館音楽(バンド)指揮は服部克久氏でしたが、地方での演奏指揮はダブルキャストで服部氏と矢野立美氏で、矢野氏曰く「百恵から言われたのは‘MC後の音出しは話をちゃんと聞いておいてね’という指示だけ」と話されていて「指揮者としては苦労しましたよ。普通は話す内容が先にわかっていて、この話が終わった辺りでイントロを始めようと準備ができる。でも百恵はそうじゃなかった。いつ音を出していいか、ドキドキして気が抜けないわけですよ。それだけで汗だくで。ツアーが終わった頃には最初の札幌の時と比べると体重が4〜5kg落ちました」
という話が印象的で心に残っていたので映像を見ながら各曲の絶妙な始まり方にこちらもドキドキしながらも「いや、凄いな。このステージに関わっている人皆んな、プロフェッショナルだな」と一々感動し、演出家の提案もあったけれど「自分の気持ちを込めたことがしたい」という百恵ちゃんのその’気持ち’があの武道館のステージ全てに溢れているのが観ているこちらにも伝わる、いやはやこの人はもう総合監督、責任者も担っていたんだろうと思うと、21歳の山口百恵という歌手をゴロンと寝転がって観ている場合ではないと、自然と正座していたわけです。
企画会議から参加し、選曲、曲順、スタッフ選び、照明にも百恵ちゃんの意思がしっかり反映されていたそうです。衣装替えの間に流れる音楽も百恵ちゃんの指定でどういう曲を何分やって下さいという所まで細部に指示を出していたそうで、そういう事を知っていなくても、ラストコンサートの映像からもそれはビンビンに溢れているし、細部まで行き届いた中で曲ごとの女性を演じ、歌う百恵ちゃんを観ているだけで唸る程のため息が漏れます。

アルバムを聴いていると後期はどんどんアーティステイックな部分が垣間見えるのですが、歌手山口百恵として何をやりたいか、それを実現させる為に周りの大人を上手に転がす事のできる物の言い方も備えていたのだろうと思うと、その客観性と何処か冷たい印象を与えるあの眼差しと微笑は虚業を虚業としてしっかり理解した人の覚悟を感じ(時代もあると思いますが)当時のアイドルとしては頭ひとつ抜けているのも頷けるし、ヒットを出した(結果を出し続けた)歌手にしか出来ないことなのだろうと思います。百恵ちゃんは策略家だなと思うエピソードがあります。
「こういう曲が歌いたい」と思うと、スタッフには直接言わず、アシスタントやスタイリストに「こういう作家さんが面白いと思うのよね」と吹聴していたそうです。すると、決定権を持ったスタッフに吹聴された人達が「百恵さん、あぁ言ってましたよ」と伝える。どの人に言えばしっかり上に伝わり、実現できるかも考えての言動。直接言うと角が立つ場合もある、周りから攻めていけば伝わり方も変わってくる。それで宇崎竜童.阿木陽子コンビとの作品が生まれて行くわけですから、感服です。

百恵ちゃんは歌う時に瞬きが少ない、もしくは全くしないのですが(ちあきなおみも美空ひばりも雪村いづみもそうです)これは凄いことだといつも思います。その歌を演じる時、自分の意識は其処になく、演じている歌の中の人間になっている、もしくは自意識は在るが、トんでる。これ、いつも唸ります。全て私の解釈です。が、歌手の凄さをそういう細かい部分からも感じてしまうのです。
武道館の話に戻りますと、6曲目「プレイバックpart2」 〜13曲目「スター誕生AGAIN」辺りの百恵ちゃんは百恵ちゃんじゃありません。歌の中の女であり、百恵ちゃんはイタコのよう。25曲目「曼珠沙華」を歌う百恵ちゃんに至ってはもうアイドルを超越しています。沢山の恋を経て、苦い思いも経てきた女の呻きにも聴こえます。引退する7年半の間に声の音域もドからラ♭までしか出なかったものが、ドからレまで出る様になったことで表現できる幅に変化があったことは後期のアルバムを聴いているとよくわかります。
濃密に駆け抜けた7年半という時間の経過と少女から大人の女に変化していくグラデーションを2時間半、最後のステージでエンターテイメントに集約し観せ尽くしてくれるその気概。百恵ちゃんと同じ時代、時間を過ごせた人達が羨ましい限りです。まぁそうは言いながらも当時の人達がどう受け止めていたかは過去を振り返ってしか観る事のできないワタクシからすると違うのかもしれませんが。

蛇足ですが、映像を観ながらこれだけのプロフェッショナルを貫く21歳の女性に21歳らしさを感じた部分がありました。肘。肘です。歌いながら見える百恵ちゃんの肘はツルンとしていてちょっとカサつきのある肘でした。「あぁ、可愛いな」と思いました。肘は年齢が隠せない部分なんだなと思いました。

日乗のはずが、ひたすら百恵ちゃんのことを書いていますが今日は百恵ちゃんで始まり、百恵ちゃんで終わる1日でした。
夜に皿うどんを作り山口百恵著「蒼い時」(集英社)を読み返しながら、また唸る。

真剣に過ごす季節、過ごしてきた季節が自分にも在ったか、これからもそれを持つことが出来るのか考え込んでしまう夜です。(AM23:15)

昼:白飯、トンカツ、キムチ、サラダ
夜:皿うどん

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