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寿司雑記2


26日、土曜日から大阪。久しぶりに会う友人の家にお世話になる。友人の家は谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅が最寄駅。以前、私が暮らしていた谷町9丁目駅の隣町。谷町線沿いには思い出が沢山ある。といっても誰かと何したと言ったものではなく、店や道、風景の方に多い。27日、谷内一光展「谷内一光時代」の最終日前日。一光君に呼んで頂き田辺へ。展示会場でもあるLVDBBOOKさんにて演奏。とてもいい夜だった。沢山語りたいことがあるが、もう少し噛み締めてからにします。ありがとうございました。


電車で文庫本を読んでいて最寄駅で降りる時、本に栞を挟まなくなった。
以前友人が本を読んでいて途中でパタンと閉じた。「続き、わからなくならない?」と聞くと「なんで?ページ数覚えてるから大丈夫だよ」と言う。私はそれがなんだかとてもクールなことに思え、それ以降真似をしている。そういえば携帯電話などなく、家の電話だけだった時代。友人、親族、よく出前をとる店などの電話番号は全て暗記していた。今ザッと思い出しただけでも20件はある。そして今でも覚えている。住所も同じく。毎年の年賀状を送る時や日本全国にいたペンパルの住所も今でも覚えている。いつから暗記
しなくなったのか。いや、できなくなったのかな。便利になればなるほど、自分の些細な能力を無駄にしている気がしてきた。ひとつ自慢だが、新宿と渋谷に限って、公衆電話の位置は把握している。何かあったとき公衆電話は便利なものだが、そこで番号がわからないとなると意味がない。来年は友人だけでも携帯番号を覚えようと思う。が、昨今みんな電話が嫌だと言うので殆どがLINEやメールになっている。私は受話器から聞こえてくる相手の声が割と好きなので電話で話したいのです。どうでもいいお喋りが好き。
「もしもし?今、何してた?」最近口にしてないな。


数日前、SNSを見ていて「マスクを外して素顔を見せるなんてもうできない」という一文で目が止まる。マスクを外した顔のことを素顔と表現することに少し違和感があり、他のSNSを見てもマスクを外した顔を素顔と書いている人が多くいた。素顔とはふだんの顔。化粧していない顔。地顔(じがお)。転じて、ありのままの状態を言う。マスクを外しても化粧を施していればそれは素顔ではない。いや、すっぴんでマスクをしているなら素顔は正しいのか……というかそんな屁理屈が言いたいわけではなく、この2,3年で人によってはマスクは顔の一部になっているのかと思うと、マスクのない状態で過ごしていた時の、その人の素顔は何処にいってしまったのだろうかとしばし考えてみたものの、寝落ち。マスク一枚が心の在り方も言葉の使い方も変えていくのは些細なことでしょうけれど、本来の言葉の意味が少しずつ変わっていく瞬間を見たような気がした、だけか。近い未来、素顔はマスクを外した状態のこと、顔を覆うものを外した顔とか、辞書に載るのかなとまたこれどうでもいいことを考えただけの雑記。



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