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【終戦記念日】に押さえたい、戦前・戦中・戦後についての基礎知識①

皆さまはじめまして。1976newroseと申します。

今年も終戦記念日がやってまいりました。

激動する国際情勢の中、ここ数年の日本では太平洋戦争から教訓を得ようとする動きが活発になっているように思います。

しかし、太平洋戦争は終戦からすでに75年を迎え、普遍的な教訓として活用できる知見もあれば、残念ながらそうではないものも多いのが事実です。近現代史を愛するものの一人としては、複雑な思いがあるのも正直なところです。

そこで、自分が近現代史を勉強してきた中で、こういう概論的なものがあれば助かったのになあ、という思いから、戦前から現代にいたるまでの日本について、体系的かつ包括的に、ざっくり手早く学ぶための「基礎知識」をまとめてみました。

拙い稿です。ごめんなさい。よろしければご一読ください。


【注(読み飛ばしていただいてもOKです!)】

①筆者は、旧帝国大学の法学部を卒業し、民間企業に勤める一般人です。大学では行政学という、ローカルかつナローな学問を専攻したにすぎません。

②そのため、本稿が目的とするのは、専門的な議論をなるべく避け、近現代日本を理解するための導入の一助となること、これに尽きます。

③本稿執筆にあたっては、私見を極力抑制し、一般的な見解として共有されている情報や、Web上で誰でもアクセスできる公開情報を基にしたつもりです。しかし歴史観というものに完全な解などなく、本稿も一般に公開された以上は批判を免れないことは覚悟しております。むしろ、活発な議論の下敷きとなれば非常に嬉しく思います。


それでは参りましょう。


一、大日本帝国の成立・致命的な制度的欠陥

江戸幕府から明治維新と呼ばれる一連の権力移譲を経て、近代国家である大日本帝国が成立したのは、皆さんもご存じの通りです。

ここでは、大日本帝国憲法を基礎に形成された帝国の統治機構において、のちに国家を破滅へと導いてしまった【2つ】の制度的欠陥を挙げておきます。

【1】統帥権の独立

主権(=国家の意思決定や統治の源泉となる権力のこと)が天皇にあった大日本帝国では、軍隊の指揮権=「統帥権とうすいけん」も天皇にしかありませんでした。

もちろん、天皇が軍すべてを直率できるはずはありません。そのため実際には、天皇の下に陸軍・参謀本部と、海軍・軍令部という専門組織が置かれ、天皇は彼らから上奏された作戦案を形式的に承認する形で運用されました。

この統帥権の独立があったため、内閣総理大臣であっても軍の指揮権に直接関与することができませんでした。このことが、のちに中国大陸戦線がいたずらに拡大する遠因となります。元来、良くも悪くも攻勢的な日本陸軍に対して、政治の歯止めが利かなかったのです。

※統帥権についてざっくり手早く理解したい場合、ウィキペディアでは記載が細かすぎるため全体像をつかみづらいです。「統帥権」で検索し、上位に表示されるサイトをいくつか訪ねれば十分と思います。

【2】軍部大臣現役武官制

統帥権を盾に政治の統制をはねつけた軍部ですが、「軍部大臣現役武官制」も帝国の将来に暗い影を落とします。

帝国憲法では、内閣総理大臣は「同輩上の首席」として、他の国務大臣をクビ(罷免)にすることができませんでした。加えて、陸海軍の大臣は、現役の高級将校のみが就任できる、というルールがありました。

このルールは、二つの重大な機能不全をもたらします。

①陸軍もしくは海軍が内閣の方針に反発し、大臣を出さないでいると、その内閣はそもそも組閣できないということ。

②たとえ組閣できたとしても、陸軍大臣もしくは海軍大臣が内閣の方針に反発すれば、閣内不一致はせいぜい説得でしか克服できず、最悪の場合は内閣総辞職でリセットする以外に方法がなかったことです。

※軍部大臣現役武官制については、ウィキペディアがよくまとまっています。


このように、帝国では、軍と政治が独立・対等な関係であり、そのため軍の誤りを政治が正すことが、そもそも制度的に不可能だったという、恐ろしい事実をご理解いただけると思います。

軍に限らず、すべての人間、すべての組織は必ず誤りを犯します。

重要なのは、大日本帝国では、軍が犯してしまった誤りを誰も正すことができなかった、ということです。

戦前・戦中を考えるとき、帝国陸海軍がどのように誤りを犯したのかを後知恵で批判することも大切でしょう。しかし、そもそも「誤りが起きることを制度上予定できなかったこと」、これこそが、大日本帝国を崩壊へと追いやった大きな原因の一つです。


二、帝国の思考と諸戦争

さて、大日本帝国の戦争の歴史を理解するうえで、もっとも大切なのは中国大陸で起きた諸戦争です。なぜなら、中国大陸の権益こそが、日清戦争から太平洋戦争に至るまでのすべての遠因だったからです。

帝国の主要な戦争を、動機・時系列・結果でまとめてみました。まずはこの程度の理解で十分だと思います。

●1868年~:明治維新直後の日本「欧米列強に比べたら、まだまだ経済力も軍事力もない…うまく立ち回らないと、他国のように列強の植民地になってしまう…」

●1894年:日清戦争「軍事超大国のロシア帝国が南下しようとしてるし、清(中国)は国内も乱れて日本に敵対的だし、朝鮮もどちらかというと清を向いていて近代化には程遠い…まずは日本と近すぎる朝鮮半島やその近くの清領土は、軍事力で日本の支配下に置くしかない!」→【大勝利】朝鮮半島・台湾に勢力拡大+巨額の賠償金ゲットで戦費を充当。

●1904年:日露戦争「ロシアの勢力圏がどんどん南下してきている…イギリスの協力を得つつ、戦争でロシアを追い返すしかない!」→【なんとか勝利】ロシアの勢力は中国大陸から後退、日本は満州に権益を拡大。ただし賠償金はなし。

●1914年:第一次世界大戦「欧州で大戦争が起きている…注視せねば」→【火事場泥棒的勝利】日露戦争から続いていた日英同盟を口実に戦争に介入。ドイツ帝国が中国大陸などに持っていた植民地を奪取。

●1920年代:欧州軍縮・国際連盟発足と日本の暗躍「世界大戦は、国家のすべてをつぎ込む大変な戦争だった。おかげで欧州列強は国力が落ちている、今のうちに、日本も国家の総力を結集して中国大陸の権益をより強固なものにせねば!」→満州に置かれていた関東軍という陸軍部隊が政治的意図をもって暗躍。

★1920年代から30年代は、国家総力戦となった第一次世界大戦で疲弊した欧州、代わって超大国となった米国、革命を経て世界初の共産主義国家となり、国際社会から孤立したソビエト・ロシア、そして中国大陸での権益をいまだ実力で死守しようとする日本、これらの意図が絡み合う、混沌とした時代でした。

この時期の日本は、国際連盟に加入したり、英米と協調して軍縮したり、ソビエト・ロシアに対抗して出兵し、共産主義革命で国がひっくり返る脅威に立ち向かったり、なかなか国際協調的な動きも見せております。

しかし、1929年に米国で起きた、株価大暴落による世界恐慌は、このような協調ムードを急速にぶち壊してゆきます。

日本国内も恐慌の影響をまともに受け、地方では餓死者が出たり、娘を人買いに売り飛ばすような惨劇が起きました。

この世界恐慌は、日本では海外の既得権益をより強化しようとする軍部独断専行の動きに、ドイツではようやく敗戦から立ち直りかけた経済が崩壊し、あのナチス・ドイツが台頭する動きにつながっていきます。

そう、経済恐慌が、世界中の政情を不安定にし、のちの大戦争の遠因となったのです。

人間が経済活動を行いながら生きていることは現代でも変わらない事実ですから、経済が円滑に回らなくなることの恐怖は、今でも普遍的な学びを我々に与えてくれるのではないでしょうか?


長くなりすぎましたね。申し訳ございません。

いったんこのあたりでパート①は終わりとします。

次回、満州事変から太平洋戦争敗戦まで、帝国がどのように崩壊への道をたどったのかを追っていきます。


つづきます。


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