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小早川秋聲「國之楯」を見に行きました

こんにちは。1976newroseです。

終戦記念日も間近となった今日は、明治から昭和期に活躍した日本画家、小早川秋聲(こばやかわ・しゅうせい)の展覧会に行ってきましたので、感想を記したいと思います。

秋聲は、サムネにも採用した「國之楯」で有名な画家です。今回の展覧会は、戦争画の枠にとどまらない秋聲という作家の魅力を紹介する、というコンセプトでした。とても良かったです。

ただし、私は芸術畑については全く素人ですので、本稿では「國之楯」のみにピントを絞って、感想を書き記します。

【圧倒的な実物感】


展示の後半、薄暗い展示室の奥角に、「國之楯」は飾られています。
一目見た瞬間から、圧倒的な実物感をもって佇む絵に、視線は釘付けにさせられます。
この絵はまさしく、つい最近まで生きていた日本将校の遺体の生々しさを湛えているのです。絵を見てゾクっとしたのは、今回が初めてです。

【遺体の現実感と後光の神々しさの矛盾】


まさしく人間のリアルな遺体、としかいい表しようのない本作ですが、よく見ると、日本画らしい柔らかな光が遺体をうっすらと照らしています。
また、日章旗が掛かる遺体の頭部には、まるで仏を思わせるような光輪がかかっています。

私には、遺体の重々しい現実感と、遺体を包み込む金色の光が醸し出す神々しさとのギャップが、強く印象に残りました。

この絵に関する論評として、「戦場の死は悲劇か、神話か」といった二項対立が用いられることが多いのですが、おそらくこのビジュアル的な強いギャップが、絵を見る人々の認知にとても大きな混乱をもたらすのでしょう。

【黒塗りと光輪と】


この絵は、太平洋戦争の戦況が悪化の一途を辿る1944年に、一旦完成します。当初のタイトルは「軍神」でした。
後年の赤外線照射による調査では、黒塗りされている背景の部分には、かつて、遺体全体を包み込むように無数の桜花が描き込まれていたようです。

※赤外線照射による桜花の再現。

しかし、この絵を見た陸軍省は、なんと受取を拒否してしまいます。1944年といえば、学徒動員してなおサイパンを失陥し、敗戦の色が日増しに濃くなっていた時期です。

あまりにも生々しく戦死者を描いた本作は、陸軍省としても受け入れ難く感じられたのでしょうか?
絵の裏地には、チョークで「返却」と記されています。

その後、「大君の御楯」と改題された本作は長らく世に出ないまま、日本は終戦を迎えます。

戦争が終わり、世の中の価値観が根底から覆った1968年。秋聲は、桜花の背景部分を漆黒(厳密には、少し藍まじりの黒でした)で塗り潰した上で、「國之楯」と再改題して世に発表したのです。

この黒塗り部分をよく見てみますと、かつてあった桜花は、絵の具の凹凸でわずかに確認できる程度で、かなり分厚く塗り潰されていることがわかります。
しかし、頭部に差した光輪は、黒塗りの上からうっすら描かれたか、もしくは意図的に残されています。

秋聲が、この改作で表現したものはなんだったのでしょうか?

戦後的な価値観の中で、戦争の悲惨さのみを強調する意図であれば、遺体を照らすおぼろげな光は明らかに不要です。遺体の重々しさだけを強調すれば、それでこと足りるはずです。

しかし一方で、戦死者の上に降り注ぐ日本の象徴たる桜花が、暗い闇に分厚く塗りつぶされていることも見逃せません。
そこには、安置された遺体が表象する悲惨な現実性から、英雄的な彩りや誇張を排除しようという意図が感じられます。

ここからは私見ですが、この絵の三つの要素は、以下の概念を表象しているのではないでしょうか?

①リアルな遺体:戦争が毀損する現実の生命・肉体。悲劇。

②光輪:国家という共同体概念のために命を捧げた兵士の実存を讃える。畏敬。

③桜花:命を賭して国家に尽くした兵士に、国家から与えられる、名誉。神話。

このうち、敗戦によって喪われてしまった③番、大日本帝国という古い国体が兵士に与える神話だけが、塗り潰されてしまった…こう考えると、なんだかすんなり理解できるような気がします。
この理解であれば、①戦争の悲惨さを世に伝えつつ、②勇敢な兵士の実存を讃える文脈も併存させることができます。
悲惨な戦死を遂げた兵士(たち)への尊敬を、国体の変遷を超えた普遍的な感情・敬意として表現し、兵士(たち)の御魂に報いることができます。

秋聲は、自らも騎兵将校として日露戦争に従軍した経験を持ちます。兵士の死を、単なる悲劇とのみ捉える価値観の持ち主であったとは、どうも私には思えないのです。

【少し残念な音声ガイダンス】


本展の会場入り口では、600円で音声ガイダンスを借りることができます。私も借りました。
音声は、秋聲本人や作品についての理解を深めてくれる素晴らしい内容でしたが、「國之楯」の解説だけは、少し残念さを感じました。
なぜなら、秋聲が戦後、桜花を黒塗りした理由として「戦争の悲惨さに対する深い反省から」と解説していたからです。

その解釈もまあ間違いではないでしょう。しかし前述の通り、この観点からは、兵士の遺体に差す光輪について説明がつかないのです。
もし秋聲が、戦後的な価値観=戦争は悲惨だ、という観点のみ持っていたなら、あの生々しい遺体に光を残す必要がありません。この解釈は、残念ながらかなり狭い解釈だと私は思ってしまいます。

【靖國と「國之楯」】

もうひとつだけ、現地で感じたこと。

私は、5年以上前にSNSでこの作品を知り、以来、実際に見るのをとても心待ちにしておりました。
幾度となく見た「國之楯」の画像から、私は勝手に「この絵には霊魂のようなものが宿っている」と感じ、恐れていました。尋常ならざるヤバみを感じたのです。

しかし、いざ作品を目にしてみると、私はまったく違う感情に襲われました。日本神道における、御神体としての「」の眼前に立たされたような感情です。
私は「國之楯」という「鏡」によって、自らの戦争観・生死観・国家観を静かに問われているような感覚に陥ったのです。私は絵の前に立ち尽くし、20分近く動くことができませんでした。絵を前にしてこんな状態になったのは、生まれて初めてのことです。

しかし実は、私はよく似た感覚を味わったことがありました。初めて靖国神社に参拝した時、私は三百万余の英霊と会うというより、自分の心の中の感性と直面させられたような気持ちになったのです。

あの「國之楯」という絵画に宿っていたのは、英霊の魂でも怨念でもなく、私の感性そのもの、でした。
…キザな言い回しかもしれませんが、これが私が現地で覚えた率直な感想です。

【「國之楯」の実物を見ること】

以上、念願の「國之楯」を見た感想でした。いかがでしょうか?
この作品は、前述の通り、歴史の文脈に翻弄された異色の経歴を持つ作品です。

あの生々しさ、神々しさ、その矛盾が同時に視覚から入ってきて、精神にもたらす強烈な混乱…そして、黒塗りの濃さと、光輪の異様。

この絵は、是非とも実物を見ていただきたいです。普段は京都護国神社に委託奉納されているようで、めったに見ることができません!お見逃しなく。

https://artexhibition.jp/topics/news/20210112-AEJ352174/amp/

お読みいただきありがとうございました。

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