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思考の整理学を読んで

思考の整理学

【思考の生理学】

著者:外山滋比古

発行所:筑摩書房


読書譚1

こんにちは。ホワイトボックス(株)コンサルティング部の阿部です。

かつて、体育会系の人間は会社で重宝されるという風潮がありました。裏を返せば、上からの指示・命令に対し、NOと言わずに取り組む人が多かったことが、こうした言説を生んだのだと思います。

しかし時は流れ、部活動はもちろん、スポーツ全般の指導において、「自ら考える」ということが重要であるという流れに変わってきていることは、多くの人が感じていることだと理解しています。

翻って、自分は考えることが好きなのか、そうではないのか。少なくとも、この本に興味を持ち、レジへ向かったという点では、考える人間でありたいという憧れのようなものがあることだけは間違いがないようです。


▼手にしたきっかけ

20代という貴重な時に会社組織に属さず過ごしてきた私は、「考える」ということにプロセスが必要なことをあまり意識してこなかったように思います。

なので、考えることはするけれども思考はつねに取っ散らかり、脈絡なく浮かんでくることを、「直感が大切だ」とあたかも自分を慰めるように正当化することで、過ごしてきてしまったように思います。

考えることは大事。さらに大事なことは考えを人に伝えられること。人に伝えられてはじめて、自らの考えと違う人ともコミュニケーションが取れる訳ですが、そのためには考えが散らかったままではいけないのであり、これをしっかりと整理しなければならないということを身をもって体験してきたことは、良かったことなのかもしれません。


▼賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ

言い古された言葉ではありますが、私はこの言葉が大好きです。私は絶対的後者であるとともに、後者のほうが人間味も増すのではないかと思っているのですが、多くのジャンルの本を読むことで多様な考えを学び、また二次元の自分軸の生活だけでは体験できないことを、本が教えてくれるのがなにより本が好きな理由です。


▼この本は実践書

「手帳とノート、メタ・ノート」の項では、メモすることの重要性を説く本は数あれど、メモという芽を成長させ、自分の考えに昇華させる段階への道程を、筆者の実例をもとに、3段活用の要領で公開してくれています。

私などは、メモは時折見返すものの、取りっぱなしでしたから、きっと考えも散らかりっぱなしだったのだと反省することしきりですが、筆者がメモをノートからメタ・ノートへと蓄積し、講演で発表することで一つのメモが昇華するということを書いている項は、SNSを使って誰もがアウトプットできるこの時代にまさにぴったりの自分の考え磨きなのではないかと認識しています。


▼コロナ禍に考える

少し前までは、グローバル化や多様性を認めようという風潮であったのに、世界に拡散したコロナ禍によって、世界が一気に内向きになってしまったのは残念なことです。

トランプ前大統領の誕生は、世界が内向きに向かう予兆であったに過ぎず、コロナ禍が確定的なものにしてしまいました。しかし、私はこうした事象は一過性に過ぎないと思いたい一人です。

私は世界史に明るくはありませんが、アセアンのことを学んだ際に、人類が行動範囲を広げていくなかで、長い時間をかけてその土地へ同化していく過程に興味をもちました。

大航海時代に世界を制していたのは、イギリスやオランダ、フランスといった国々ですが、近世にもっとも大きな力を有したのはアメリカ。アメリカは、原住民との争い、人種間の争いという問題を抱えながらも、善意と勇気ある人々の行動が、アメリカという国を世界一の国にしたのだと理解しています。

もしそうであるならば、多民族、多宗教、多言語から構成されるアセアンの国々にも発展する可能性は残されており、日本は単一民族ですが、こうした考えを理解するだけでなく、真に尊重することで、一緒に成長できる未来があると考えています。


▼最後に

読書譚という割には、著作のことにほとんど触れてはおりませんが、この一冊を介して考えたことをこれからもこのマガジンを通じて書いていきたいと思っています。

                             阿部 勇司


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