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教育格差を直視する<その2>

こんばんは。今日もお疲れ様です。

前回に引き続き、(週をまたがりましたので)先週読んだ教育に関する記事・投稿で、気になったものをご紹介します。

ご参考までに、前回の投稿はこちら。

東大生の投稿

もうひとつ、教育格差という点で考えさせられたのは、こちら、現役東大生の布瀬川天馬さんの投稿。

布瀬川さんの主張点をひとことで言うと、都会と地方で受験に関する「情報」と「時間」の格差は深刻だ、ということです。
そうなんでしょうね。

緒方前衆議院議員のコメント

この投稿に対し、前衆議院議員の緒方林太郎さんが、コメントを寄せています。

悔しいのですが、この記事の指摘は(東京大学に限らず)受験全般についてほぼ当たっています。
私は県立高校でしたし、予備校・塾とはほぼ縁がなかったので、大学受験に向けては①参考書、②通信添削、③模試くらいしかツールはありませんでした。しかも、参考書は井筒屋ブックセンターにある範囲でしか調達出来ませんでした。私と受験を繋いでいたのは、主に通信添削と模試でした。逆に、東京に来て、某有名進学塾で講師をやって、その情報と環境の充実ぶりに驚きました。
深刻なのは、東京と地方の(情報と環境の)ギャップがある事を双方ともあまり意識してないという事です。東京出身の大学友人に「地方とのギャップ」を話しても、「俺達だって苦労して受験に臨んだ」で終わります。何がギャップなのかすら理解してもらえません。かたや地方出身者は、当然「見た事のないもの、経験した事のないものは分からない」となります。
「大学受験においては、東京と地方では、同じ量の努力をしても同じ結果に到達しない事が多い。」という過酷な現実があります。そして、「当事者はそれを意識する事すらない。」というのも概ね事実でしょう。

下記は、緒方さんが衆議院議員であるときの経験でしょう。

政策形成においてすら、この影響を感じる事がありました。中央官庁の若手官僚と話してても、私の上記のような話が通じない事がよくありました。「あなた、高校何処?」と聞いては、(著名な首都圏有名私立高校の名前が出て来て)「あー、やっぱりそうか。」と思ったものです。

コメントの最後の部分が重要ですので、太字にしました。

「親のカネ」、「住んでいる場所」で将来の可能性が出来る限り左右されない世の中、これを私が追い求める世界観です。ほぼ毎日、その事を考えています。良い解はなかなか生まれてきません。

私見

思うに、つか私が言うまでもなく、この教育格差は情報格差です。

具体的な差異に気付いた人が発信した情報を、取りまとめて広く共有していけばいいのだと思います。

地方に居ようが、ネットに情報が上がっている限り、誰にでもアクセス可能です。

ネットに上がってない情報も、情報を提供してくれる人に巡り遭えれば、オンラインチャットでやりとりすることも可能な時代になりました。

それらは新しい技術ですから、受験生本人だけではなく、受験生を受け持つ教師、保護者も等しく関心を持ち、技術習得する必要があります。
むしろ、都会の子達の環境に近づくチャンスな訳ですから、積極的に利用した人の勝ちです。

数年前、オンラインチャットを使ってフィリピンから格安の英会話教室に参加しないかと、私のところへも勧誘がありました。

受験勉強のための技術を磨くことを、オンラインで教えてくれる塾とか、誰かが事業化すれば、まずそこから広がっていきます。

そう、ネットに情報を上げると言っても、そこから収益が上がるという、インセンティブってのが必要です。

そのうえで、国家の要諦にかかわる人材を育てる部分、モチベーションの育成には、国家予算をつけるべきです。

近年、官庁に優秀な学生が来てくれないという問題が発生しつつあるそうですが、必要な手当てをしなければ、そうなるのは当然です。

なお、布瀬川さんが「浪人時の塾通いは年間100万円前後の膨大な学費がかかります」と上記投稿で言ってる件は、親としてはそれで国公立大学に合格してくれるなら、御の字と思います。
私の子供のうちの一人は、授業料だけで年間130万~150万円近くかかる私立大学に進学しましたので、一浪して国公立大学に合格してくれれば、その方が卒業まで一年余計にかかるとは云え、学費だけで見れば安く済みました。
ただ、本人と母親の希望で浪人にはなりたくない、とのことでしたので、そちらの希望を優先しましたが。

私の受験経験

ここで、私の受験経験をシェアさせてください。

50年前、私の学区の公立中学校が荒れてる、という噂を母親が仕入れて来て、どこでもいいから私立中学を受験することになりました。
当時のメジャーだった四谷大塚進学校に通い始めたのが小学校6年生の春からだったので、若干遅いスタートではあったのですが、合格不合格判定テストを受けたら思ったより成績が伸びており、麻布を受験することにしました。

ついでに慶應義塾の普通科と中等科、母親が通った都立竹早高校も受験しました。

結果は全滅でした。
今にして思えば、それぞれ個性なり傾向が異なる問題が出題されるのですから、一年未満の受験勉強でそれに十分対応できる試験力は、結局身についていませんでした。

でも発表から一か月経ったところで、補欠合格の通知が麻布から来たので、これ幸いと滑りこみセーフを決めましたw

そして6年間学園生活を満喫し、気が付いたら高校3年生のGWの文化祭が終わったところでした。

中学受験で、四谷大塚にいくら支払ったのかは親から聞きませんでしたし、麻布の学費がいくらかも聞きませんでした。

でも、子供なりに気を使って、進学予備校には通いませんでした。
つか、現役時代には、入りたい大学が見つかりませんでした。
なので、自分が納得してないところにお金をつぎ込むことは非合理でした。

高校卒業後、3か月間、幼稚園の事務を補助するバイトをしてました。
それで、ようやく大学を受験する気になりました。

と言っても、18歳の何もガイダンスを受けてない若造には、将来のキャリア設計図など、何も引けませんでした。

バス1本で通える代ゼミに行って、当時まだ存命中のべ平連の作家、小田実の「英語を書こう」という授業だけを受けてました。
受講する学生が凄く少なかったので、毎回黒板の前に出て、小田実の出題する問題を解き、「それ、英語になってないよ」とぼろ糞に言われましたが、パレスチナ解放戦線のアラファト議長との対談テープを聞かせてもらったりして、いつ海外に出て行っても切り抜けていける度胸はつけさせてもらいました。

その授業の帰りに、新宿小田急百貨店の上にある三省堂書店に立ち寄り、色々な大学の入試問題を片っ端からチェックしました。

ICU(国際基督教大学)の過去問が、英語力と暗記力と体力さえあれば、造作なく合格できることに気付きました。

その次に大学案内を見たら、当時は学費もとても安く、年間授業料が39万円と国立大学並みでした。

いや、それだけでは当時18歳の野副青年を説得するに十分な材料にはなりませんでした。

ブレイクスルーしたのは、大学案内に書いてあった以下の文言でした。

「当学は、全人教育を旨とする。」

本当かー。本当なんだな。じゃ、騙されたと思って受験しよう、と決めました。

その時は、補欠にもならず、すんなり合格しましたが、入学したら、やっぱり騙されてたことに気付きましたがw

その代わり、授業には無茶苦茶真摯な態度で臨みました。

おまけに、私が入学する数年前までは、日本一安かったのに、授業料が在学中にどんどん値上がりし、大学側の説明は「他私立大学並みに上げる」と大学案内に書いてあったのを、すっかり見落としておりましたw

翻って思うのですが、もし高校在学中に適切なガイダンスを受け、ICUの存在を知っていたら、半年間で英語だけを勉強し、現役合格は楽勝だった筈です。
おまけに、必要な学費が数十万円節約できた筈でした。

これからの日本を担ってくれる若い人達の価値は、間違いなく私の価値より高いです。
単純に、その価値が不変かつ計量できるものとして、世代あたりの人口で割り算しただけですが。

ですから、その人達に平等に適切な情報を提供していくことは、国家の責務であり、国家の生命を維持するために必要な措置であります。

でも、今の永田町も霞が関も、「この人を目指し、この人を超えて行け」って若い人にお勧めできる人が、正直居ないんだよなぁ。

そこが一番、問題です。

もし間違っていたら、ぜひ教えてください。

では、また明日。



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