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東日本大震災を忘れない(16)-三度び、石巻へ<その2>

こんばんは。今日もお疲れ様です。

最初に、大震災で亡くなられた方々に対し、心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りします。

自分が参加した、宮城県石巻市への、三度目の民主党復興支援ボランティアツアーの話の続きです。

前回の話を含めた、東日本大震災に関する私の投稿は、下記をご覧ください。

石巻市が一斉に行った側溝の汚泥除去とは、こんな風に道路の隅の溝をあけて、中に溜まった汚泥を掘り出す作業です。

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申し合わせにより、具体的な場所が特定されてしまうおそれがあるので、現場写真はこれ以外は撮影しませんでした。

溝を外す器具があるのですが、素人の我々では使い熟せないので、大きな鉄棒を梃代わりに使って、一つ一つ外していきます。

石巻市全体のイベントでしたが、高齢者が多く、自力作業が困難な場所のお手伝いをしました。

つか、実際の作業はボランティア隊と地元の参加者の方と地域分担をする形になりました。

私はずっと、地図を持って担当地域をウロウロ。

東京に戻る時間までに、担当地域全部の側溝すべての汚泥を除去するのは無理と判断。

のぞえらのグループは、回を重ねる毎に女性の参加率が上がり、今回はのぞえが班長を拝命した班は、10人中6人が女性でした。

汚泥を出すのは女性にお願いして、男性陣は側溝の蓋を外したり元に戻す作業を担当です。

でも、蓋を開けてみると汚泥が全くない側溝もあり、作業を効率良くやれば、多少残しても実質的には全部終わるな、と結論しました。

前回と違い、この地域はほとんどの家に住民の皆さんが戻って来ているので、中には手伝ってくれる人も。

ホースの水やトイレまで貸してくれたので、作業がはかどります。

でも暑いので、年配のボランティアさんが一人、腰ついて座り込んでたりして、班長のぞえはバタバタf(^-^;

「ゆっくり休んでてくださいね」

とお水を飲んでるその人に声かけます。

無理は禁物ですからね。

12時になったので、お昼休憩を取ります。

車が入ってない屋根付きの駐車場を貸してもらえたので、そこに車座になって休みます。

ペットボトルの水とか必要なものは頑張って担いで来たので、特に困ったことはなく。

初めて会う人ばかりでしたが、一人一人自己紹介してもらう程でもなかったので、大学生で参加してくれてる一番若い二人組の女の子を指して、

のぞえ「そこのお二人さん、双子じゃね???」

いや、本当そっくりさんだったのです。

わっと笑い声が起こって、雰囲気が一気に良くなりました。

駐車場を貸してくれたおばちゃんが、三五八漬けをくれました。

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塩分も摂れて、一石二鳥だぁ~。

ボランティアセンターのリーダーが、ライトバンでぐるぐる回って来てくれます。

作業内容を手短に説明して、今日はここまでやりますよ、ということに了解をもらいました。

この人は、もう3か月もテント暮らししてるんです。

頭が下がりますm(_ _)m。

少し、早めに作業を切り上げました。

キリがよかったのと、さすがに暑かったので、結構皆フラフラしてましたのでね。

幸い、たまに雨が降る天気だったので、気温はそんなに上昇しなかったのですが。

お手伝いをしてくれ、駐車場を貸してくれて三五八漬けを振る舞ってくれたおばちゃんにお願いして、参加メンバーに被災状況を話して頂きました。

喜んで引き受けてもらえました。

おばちゃんはこの日、他所の土地の人と震災後初めて喋ったんですと。

津波が腰の高さまで押し寄せ、家の中も全部汚泥に浸かってしまったと。

普段は体を綺麗にする浴室まで泥をかぶってしまい、本当どうしようかと思ったこと。

電気も水道も1か月以上復旧しなかったけど、プロパンガスだったので、避難所でトイレを我慢しながら使うよりはましと、早めに自宅に戻ってきたそうです。

水道が復旧するまで、体を拭う水も、ポンプ車の配給にずっと並び、ポリタンクを女手で運んだですと。

看護婦をしてる娘さんが、震災後全く帰って来なかったけど、看護で頑張ってると病院に行って来た近所の人から聞き、なかなか会えなかったけど、ずっと信じて待っていたとのこと。

汚泥除去がほぼ完了したこと、話を聞いてあげたことに、大変感謝されました。

「震災の事、外の人に初めて話した〜」とおばちゃんがしみじみと言ってたのが、印象的でした。

マスコミに報道されない事実は、まだまだたくさんあります。
と云うより、とうとう報道されずじまいだったことが山ほどあります。

早めに切り上げたら、ボランティア女性陣が俄然元気になりました。

近くのヨークベニマルに行って、皆に缶ビールを買ってきてくれました。

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震災ボランティアで初めてのアルコールでしたが、労働の後のビールは、もちろん最高でした。

別の人は、さくらんぼ。
缶ビールを飲み干した後で、しみじみ頂きました。

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おいおい、酒のつまみまで買ってきてくれたぞ。

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帰り道に通ったミニストップも、営業再開してました。

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こちらは、まだ休業したままですね...。

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途中、別のバスに乗ってる全体のリーダーと相談して、この日は途中のSAで食事休憩を取らず、出来合いのものだけ購入することにして、一路早めに東京を目指すことにしました。

この日の家族へのお土産は、こちら。

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栃木県にさっさと戻ってしまったので、福島で買えませんでした。

私は、東京に着いてから外食する時間と体力はないので、簡単な晩御飯で済ませました。

SAで買ったコロッケ。

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昼間、重労働はしませんでしたがずっと動き回っていたので、ソースつけなくてもコロッケが美味しい~。

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那須の月と同じ那須高原SAで買った、とちおとめ(苺)のパン155円。

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右に見えるのは、レモン牛乳。レモン果汁って、牛乳と混ぜたら固まっちゃわないの?
いつも謎ですw

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とちおとめ(苺)パンの切り口が、ほのかに赤いです。

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小腹が空いたので、最後のSAのモスバーガーで、セットも買ってしまった。

このモスバーガー羽生パーキングエリア店は、現在は閉店しちゃいました。

モスバーガー320円に、フレンチフライSとコーンスープのセット320円を付けます。

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毎回、終電ぎりぎりになるのですが、今回は若干余裕で帰宅することができました。

担当した地域のライフラインは、これでほぼ復旧しました。

まだ、そうなってない地域がほとんどなので、一刻も早く復旧・復興させなきゃ、でした。

では、また明日。


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