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連載「いい映画には理由がある」

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#note映画部

勝手にしやがれを追いかけて#3

結果的にいま、 私の人生をガイドしている映画は、『勝手にしやがれ』と 『巴里を追いかけて』のふたつなのだ、と思う。 それまでの毎日は、 親のしつけに従って、 目標をその延長に置き、それがどのくらい達成出来ているのか、 それを確認するのが、楽しみでならない、 というような。 もちろん、達成なんか全くしていない時も沢山あって、その時はどうしたら良いのかに没頭する。 そんなある日、 この映画たちは、そんないままでに逆らって生きることを 当然のような感じで、価値観がひっくり返る

勝手にしやがれを追いかけて #2

はじめて観た日、 観た直後のこと、 よく覚えています。 前回「稲妻」なんて言葉で書いたのだが、あの時から今までの人生レヴェルで考えてみても、そうそう同じような感覚、はない。なかった。 そしてそんな感覚を もっともっと、もう一度! と思って、次々と観ている気がします。 もう一本といえば、 邦題「巴里を追いかけて」 (1987 ジャン=シャルル・タケラ)。この二本の衝撃、 に操られて今がある、と。 衝撃、を自分の人生に持ち込みたい。その時はそうは思っていなかったのですが、

勝手にしやがれを追いかけて #1

なぜ、こんなにも映画が好きなんだろう? たまに、そう思う。 それは、いまやるべきことへの休憩だったり、ひと仕事終えたあとの、時間だったり。 けれど、その愛する映画は、休憩なんかではなく、『本当の』人生なのだ。 どうか、生きている間にこの好きなことと、やるべきことを一致できないのだろうか。 それは、『甘い』のか? いま、映画“勝手にしやがれ”を何度も何度も読み解いていて。 それは、ある青春の稲妻。のごとき、魅了されて 結局は、己の人生そのものがそうなっている。

人生は素晴らしい、それがどんな局面であっても

全く旬な話題ではないのだけれど、と前置きしたくなるのは、映画『LA LA LAND』についてだ。あまりにも好きすぎて、映画館でも、DVDでももう何十回観ただろうか。 10歳から観続けている『風と共に去りぬ』は越えていないけれど、韓流時代の『スキャンダル』は越えただろうか? 多くの方のレビューもブログも解説も読んだし、ある方には、同意すぎて嬉しくて、メールまでしてしまった。(返信があって、ものすごくうれしかった、いつか逢える気がしている) 今日は、この映画のどこがそんなに

誰かがみたら、変!って思うくらいのオリジナルな線になってその次は?

恥ずかしながら私は、 今だにレンタルビデオを 実際に借りに行って、 毎日映画を観ている。 本も図書館で借りて。 どちらも良いのは、 定期的に返さなくてはいけないので、 ちゃんと観たり、 読んだりできることだ。 返しちゃうので、 じっくり理解しておきたいものは、 期間中に何度も何度も、 観たり読んだり、 ノートしながら、 だったりする。 195レッスンでも 利用したいくらいのものは、 購入する。 購入すると、 レッスンしたりするから、 さらに深読みしたり、 観たり読んだりし

恋人たち

アトリエのある広島市には、映像文化ライブラリーがある。東京でも、銀座や竹橋によく足を運び、並んで、またはハシゴして、観ていたものだが、ここでも、作品によっては、満員になる。 作品によっては、ガラガラなので、その「満員」の中で、拍手とともに観るのがまた、楽しい。 前日の『死刑台のエレベーター』が満員だったとの噂を聞き、最終日の『恋人たち』に予定を合わせた。今晩は眠れなさそうだ。 モノクロで、白いネグリジェ以外の印象がない記憶だったのに、久しぶりに、数度目に今日観たら、こん

『イタリア旅行』(1953年 R・ロッセリーニ)

『イタリア旅行』(1953年 R・ロッセリーニ) 遅ればせながら、初めて観た。 『“男と女と一台の車とカメラがあれば映画ができる”とJ=R・ゴダールに言わしめた、ヌーヴェル・ヴァーグ の原石的傑作とされるフィルム』 という生意気な覚え方をしていた。 生意気な時代をとうに超えた今、初めて観てよかったと思う。 英国のお金持ち夫婦のイタリア旅行。 それでも、高級車とバーグマンの美貌以外は、人生の後半にもなれば理解できる、普通の会話。 なのに、「死と隣り合わせの生」のイ

エンニオ・モリコーネのこと

7月6日に91歳で亡くなられた作曲家エンニオ・モリコーネ。音楽とはすごいもので、今回の訃報で忘れていた感情のいろいろを思い出させてもらった。 幼稚園にも行ってない頃(今回調べて分かったのだが、『荒野の用心棒』は、私の生まれた年の作品)(そして私は、自宅で洋裁をしたい母が質問の多い私をなんとか頼んで3年保育を2回通っている(!)ので、ほとんど2〜3歳でくらいのことだと思う)、家には畳とレコードしかなく、よく父と寝ころんでレコードばかりを聴いていた。母に叱られる以外は、それしか

ピュアは努力で得られるものではない『ベニスに死す』

どこでとめても美しい映画。30年ぶりに再観。20歳の時には理解できなかった、悪臭・菌・道化・老い・誤魔化し、そして・美。今回はマーラーの曲やマンの少年愛と共に、理解できたように思う。 実はこの映画にはもうひとつの物語が私にはあって。20代になったばかりの「超」生意気盛りのころ、やたら難し気な映画評論で語られるこの『ベニスに死す』。 公開時から10年たった80年代ではかなりのアングラで。ようやく観る機会があって朝から並んでいた。その最終回でようやく番が回ってきて、今日は観ら

ベティ・ブルー 愛と激情の日々

『ベティーブルー』、『グランブルー』、『ディーバ』。 あのころの映画を再観しています。この三作品以外にもあるのだけれど、この三つは特に、私の中で「ブルー繋がり」。(※ブルーベルベットは、私には「赤の印象」なので入らない。)私の中では勝手に、映像と印象が「青で繋がって、完結して」いるのです。 その他にも、『美しき諍い目』『バーディ』『シェリタリング・スカイ』『汚れた血』「バグダッドカフェ』『C階段』。 自分が「青」かったのもあるだろうし、TOKYOのセゾンな感じもあるだろう

映画『男と女』にみるチャーミングな仕草

「見たこともない新しい価値」と「時が経っても古くならない真の価値」、相反するモノですが、どちらも大切だと私は考えています。 若い時には随分と失敗をしてきました。髪型だって、ずっとボブだと思われがちですが、実は、全5ミリカットや、ドレッドスタイルも経験済み!たくさんチャレンジして、たくさん失敗して……。そして、待ちに待った人生の後半には、憧れていた女性になっていたいものです。 私の憧れとは?精神的には、漫画『ベルサイユのばら』のオスカルのような信念のある生き方。存在的には映

クロード・ルルーシュからの贈り物 男と女 人生最良の日々

(幼稚な言い方だけど) “フランス風”が好きで、 人生以上に 恋愛や映画や物語が好きで、 生活とファッションが好きで、 自分色の小物たちに囲まれたくて、 『歳をとることとは、本当の自分に近づいていくこと』 を実践したい、 でないと生きた意味なし、 と 思っている 私にとって、 最高の映画でした。 監督と役者とスタッフと 観客のそれぞれの53年が作る 映画を越えた映画。 自分の体験や実感情が 観るものの意味を作る、 だから、 生きるって素晴らしい、と 本気で思ったの