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百貨店奇譚

 バレンタインデーを間近にひかえて、お目当てのチョコの捜索に出た。つい五、六年前までバレンタインの定番で、その後代名詞のごとメイン商品の生チョコのみならず、チョコがけポテトチップスや、チョコがけクッキーなど高品質な焼き菓子で一世風靡したR店は、今は出品店舗をさがさないと見当たらない具合になってしまっていたからだ。しかしネットではプレミアムつき価格でうられているため需要はある程度あるらしい。しかし2月14日には間に合わない。それで重い腰をあげた。名の知れた北海道のチョコレートブランドだから通販を待つよりも、直接デパートで買いつけて千葉に住む次男へはレターパックで送った方が早い。
 しかし、一時間かけて車を飛ばしたどり着いた百貨店で愕然とした。バレンタインなのにちっとも華やかじゃないのだ。やんごとない雰囲気もない。血眼を変えた女子たちもいない。季節を楽しむためにひな祭りに桜もちを買い求める程度の品のいいレベルだったのだ。

 結論から言えば、まあ探していた生チョコは見つかった。最初に百貨店の何箇所かに分かれた特設会場をめぐったがどこにも見つけられずヒヤヒヤしたが、ネットで調べた揚句その百貨店が唯一近隣で出店している場所だと判って本腰入れて探したら小さな冷蔵庫にちんまりとあった。ところが午前中にもかかわらずその日は入荷がなく、翌日にならないと荷物は来ないという。それでまた足を運んだわけだ。

 華やかじゃない、実質本位のバレンタインコーナーを逍遥しシーズナルイベントとしてのバレンタインを楽しむリアルタイムのジェネレーションに混じって、Rチョコレートの冷蔵庫の前に立つと同じ年頃のご夫婦が居合わせた。少し急いた感じが昭和世代らしい。荷薄は大雪のせいもあるのかもしれない。ブランドのショップバッグの用意がないと店員の応答に、「ないんだって」と夫婦が呟く。

 三十年、もうそんな前になってしまうのか。あの頃のバレンタインはお祭りだった。銀座のホテルは、すべてチョコレートでできたコーヒーカップや小さなグランドピアノを予約をうけての受注販売していた。老舗の百貨店にいたっては、地下の食品街は両手に紙袋を下げた女性客で溢れた。コマーシャリズムに踊らされていた、と今なら言われてしまうかもしれないが、それが楽しかったのだ。パッケージだって手を抜いていない。結局、工夫を凝らしたチョコも、純度がたかくいい素材をつかってシンプルなものには勝てないというトレンドが一巡り後にやってきて、パッケージ戦争も勃発したのだ。物があふれた時代に生まれた御仁たちには想像つかないだろうが、そうやって私たちは溢れるものが競争に勝ちゆく姿を見てきた。そしてそれを牽引してきたのが百貨店だったのだ。

 百貨店は百貨店へ行けばなんでも揃う。それはもう神話で、ファンタジーで、夢だった。当時は百貨店なんて呼ばない。デパートだ。百貨店とあらためて呼ぶようになったのは、デパートには月賦(ローン)で買い物ができる丸井やスーパーから取扱品目を増やした大型販売店のイメージが色濃くなって以来。つまり差別化を狙った昭和後期になってからだろう。新しいものへ敷居を低くしたデパートと、老舗であることを追求した百貨店。
 昭和三十年代生まれにとって、デパートはアミューズメントパークだった。休日のお出かけにはマイカーで地下駐車場のあるデパートへ。我が家の天国は横浜駅の東西にあった。ダイヤモンド地下街という名の天井の低い地下街の駐車場に車をいれつごう4つのデパートを梯子するのだ。まずは、地下街のガラス張りの自動の回転焼きを眺める。そうしているうちに母が餃子店で晩御飯用の持ち帰りを購入し、ついいでに駐車券にハンコをもらう。
 ここからが子供の時間で、西口の岡田屋に入ると一気に屋上まで上がる。その頃の岡田屋は、店舗がそのまま入った今のショッピングモール型のデパートで、それぞれの店のカラーが違ってウインドウショッピングだけで時間が潰れた。それは一人で出歩く中学校以降になってからで、小学生時代の家族ぐるみのお出かけの目的は屋上の遊園地だった。モノレール式の海賊船のアトラクションがあって、空を背景に高いビルのきわギリギリに走る船は浮遊感があった。そのころのペットショップといえばデパートの屋上が定番で、ここにも大きな水槽をそなえたショップがあった。ねそべった自分の身長よりも横に長い水槽の中で、はじめてアロワナを見たのはここだった。そう、屋上は無料の動物園・水族館でもあったのだ。リスを飼うのが同級生の間でブームになったこともあった。なぜここでリスなのか、ということだが、岡田屋ときってもきれないレストランが屋上近くにあった。確かなことを書きたくてネットで調べたが確かなことは出てこなかった。しかし覚えているのだ、何かあるたびに家族してそこで食事したことを。日頃は千葉の叔母の家で暮らしていた大正生まれの祖母が年に一度か二度横浜の実家に遊びに来た。その祖母でもきっと食べられるものがあるだろうと、一緒に行った覚えがある。
 そうそう、そしてあの50年近くまえは、飲酒運転を取り締まる法律もなかった。父はあのレストランで子供には受けないクラッカーとチーズなるものをビールのつまみに頼んだのだ。子供には美味しくもないそれを頼んだことで、その後母の語りぐさになったので覚えている。ちょっと機嫌を悪くした母から目を逸らすように祖母が私に話しかけた。
 「いくちゃんのリスもあのあたりにいるかもね」
 学校に行っている間に、餌をやろうとして籠の蓋を開けた祖母の手の間をすり抜けて誕生日に買ってもらったばかりのリスは逃げてしまった。
 どちらが先だったのか、屋上レストランの窓から見やるビルの切先に小さく動く影。台湾リスが大きなしっぽ尾を平行に伸ばしちょこちょことと走るのが見えた。
 今となっては、祖母がそういったから子供だった私に幻がみえたのか、それとも本当にリスを見たのか判然としない。ただ、見えたと思ったリスが逃げたリスそのものではないことは子供の自分でも分かったし、祖母が指さした先の大通りに差し迫った雑木林があまりにおおきかったので、ほんとうにそこにいるかもしれないと、思ったことだった。

 デパートとよんでいた時代から百貨店が一線を画していた時代にも変革があった。それが消費者の意識の違いとか、消費行動の変化のせいなのだろうけれど、今の状態は全盛期のデパートを知っている世代には物悲しく映る。先週大きな百貨店の売却が報じられた。一つの時代がおわるのを見ている気がした。デパートの記憶をたぐるだけで甘酸っぱい思い出が噴き出す。物の豊かさがイコール心の豊かさだった時代の記憶を、また思い出したいと思う。

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