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ガス湯沸器

 瞬間湯沸かし器とも呼んだ。昭和のことだ。まるで物凄く昔みたいに聞こえるがそんなことはない。ほんの30年ほど前のこと、いま威張っている大人が生意気な若造だった頃だ。いや・・・瞬間湯沸かし器となると、もう少し遡るか。
 あの頃は、なにもかも便利へまっしぐらだった。便利で安全は正義で皆んなの心を明るくした。

 小学生だったある日、家にガス屋がやってきた。台所の流し台に神棚のごとく括り付けられていた湯沸かし器を最新式のものに交換するためだった。それまでも湯沸かし器はあったが、表面の小さな窓をのぞきこみガス栓をひねってから着火しなければならなかった。とくだんそれが不便だったわけではなかろうが、学校から帰えると大きなプッシュボタンがついた瞬間湯沸かし器に代わっていた。
 「安全だし、便利よー」
 神経質でいつもキーキー言っていた母が珍しくすなおに嬉しそうだった。母はガスコンロの下に備えた大きなオーブンを、背面に防火の装置などがないから危ないと言って一度も使わなかった人だ。おかげで私のオーブンとオーブン料理への憧憬は半端ないものになった。
 こんどの器械は形こそさほどかわらないが、金属というより耐熱性の触っても熱くない素材のカバーのうえにオレンジ色の大きなボタンがついていた。カバーには通気用の孔が開いていたが、これまでのように点火確認のためのものでなく、「ついてますよー」というお知らせ程度の存在で、火を扱う者の技術も用心も要らない。必要なのはただ、やさしくそして確信を持って中央のボタンを押すことだ。つまり危険な『火』が目につきにくくなった事で隠すことで瞬間湯沸かし器は母のお気に入りになった。

 蛇口をひねればあったかいお湯がでる、セントラルヒーティングがあたり前の世代には想像できないだろう。エアコンが普通の家に普及するのは、八十年代に入ってからだ。反射板がついた横広の石油ストーブひとつで暖をとるのは当たり前だった。一人が一枚半纏をもっていて、帰るとまずそれを羽織る。だからお湯をつかったり料理のために火を使う台所は暖かく、冬の天国だった。茹で野菜をするとたちのぼる湯気を一旦洗い桶に取っておく、そこへ油よごれの道具をいれておく。温度は低いのに、西側の腰高まどから光が差し白い蒸気でくぐもった夕方の台所は幸せの象徴に思えた。
 友達と喧嘩した時、学校で叱られた時、なんだかうまくいかない時、それから単純に寒い時、母は私を流し台へ呼び食堂テーブルを引き寄せた。そして空っぽの洗いカゴをあらうとそこへなみなみとお湯をそそいだ。厚手のバスタオルをシンクの淵にかけると手を温めるように言った。
 今考えると、足湯と同じ原理なのだ。ゆっくりとお湯に両手を浸していると体全体がぽかぽかしてきた。気持ちがゆっくりほぐれてきて、さっきまでの悩みがどうでもいいことに思えた。しばらく暑いほどの湯に浸した手は真っ赤に膨張して脈を打っているみたいだ。その両手を大事にバスタオルにひきとりその後はテーブルの上に移して、ニベアクリームをたっぷり塗る。まるでトーストにぬったバターみたいに白いクリームはあっという間に肌の肌理の中に浸みいい香りを放った。
 家って最高!
 素敵なものがあったわけではないが、折れ曲がった気持ちを修復してくれる方法があった。温かさは特にあのころの筆頭で、不便だったがゆえに「温かさ」は「おいしかった」味としても、温度としても。シンクの手湯のほかに、熱々タオルぶろも最高だ。寝たままの体を湯気のたったタオルで拭いてもらうのは、風邪をひいている時のもう一つのご馳走だった。不便で寒かったからこその嬉しさだったのかもしれない。

 余談だが、瞬間にお湯が沸かせられる瞬間湯沸かし器は便利だが、すぐに沸騰するので、すぐ怒る人の暗喩になっていた。ほかには、あのひとはキレかかった蛍光灯というのもあったっけ。チカチカするばかりで、すぐにピカーンとならないってことらしいが、考えれば失礼な話だ。

 温かさがうれしいのは、大人になってからも同じことだ。これまで話したことで思い出したことがある。実家をでて下町のマンションとついたアパートで一人暮らしを始めた。四階建ての端っこの部屋だった。建築法準拠していない物件でびっくりするくらい安かった。10畳一間。普通の台所に、風呂場と呼ぶにふさわしい3畳ほどのタイル張りのスペースにポカンと浴槽一つとトイレがついている。ここの台所には湯沸かし器はない。その代わり玄関のすぐ脇の室内に大きな子供の背丈ほどの湯沸かし器がついていた。それも旧式で、小窓から青い火が見えるやつだ。これが台所と風呂場の給湯をまかなっていた。
 前述のとおり風呂場にはあおい立方体の風呂桶があるだけで、そこへ注ぎ口の長い蛇口がついている。そこへお湯をためようとすると30分は絶対にかかる。まず元栓をひねり、蛇口を開けるだけひらく。出てくる水が温もってきたところでありきたりの黒いゴム栓を差し込む。このバスタブの排水口は排水パイプからははなれているため、栓を抜くとタイル部屋を横断して流れるのだ。
 部屋に戻ると湯沸かし器は今にも爆発しそうな音をさせて頑張っていた。大きな音に聞こえたのは実家の小さな湯沸かししかしらなかったからだ。実際一度だけ修理を頼んだことがあったが、そのあとも音量が変わることはなかった。そしてそのうちに私はその音といい、小さくのぞく炎といい、そして稼働時の地響きのような僅かな揺れを愛おしく感じるようになった。玄関を背に壁に張り付いたそれは部屋をまもってくれているようだった。仕事につかれたとき、部屋にかえり電気をつけずうずくまる。白い部屋もカーテンをとおした夜の光のなかでは、バケツみたいにあおかった。青い暗がりのなかで湯沸かし巨人の栓を開け風呂の蛇口をひねる。間仕切りのドアを閉めると水の落ちる音は自分とは関係ない話に聞こえた。そしてまたひとしきり丸まって悲しむ。そのそばでしろい巨人は壁に張り付いたまま体を震わせ続けた。

 沸かし返しはできないから。それが言い訳というわけではないけれど、雪が降ったあの晩は、すっかり酔っ払ってかえってからまた一人で飲み直した。湯がたまるまで、キッチンでたったままワンカップを飲み干した。20代の一人暮らしに一升瓶はさすがにまずいからと、駅の売店でかってきたのだ。徒歩20歩ですっかりぬるまってしまった。おもいついて私は二つ買ったもう一つの方を風呂桶にいれた。
 湯が溢れてタイル部屋を小川が流れ始めた頃には、ほんとうに出来上がっていた。翌日はシフト休日の月曜日。どうなってもよかった。半裸になりながら玄関の鍵を閉めチェーンをかけ、風呂場へ行った。熱湯をいれた風呂場は天国はこうありやとおもわんばかりにまっしろだった。今足を入れたらあ火傷する。そこでバスタブすぐ横の押し開き窓をあけた。二段の上のすりガラスが半分空いて、すきまからバケツ色の夜空が見えた。
 熱湯風呂に足をつけられるようになってようやく底に沈んだワンカップを救済した。冬のこと、すぐに適度な湯加減におちついた。私は肩まで体をしずめた。ちいさく体育座りしなくちゃならない。そして二本目のワンカップの蓋を開けた。はじめて大人になったな、と実感した。座った向きをかえてまどを見上げると、さっきの隙間から小さな満月が見えた。
 白い湯気はモクモクと、円形の雲をえがきながらどんどん凍てつくそとへと排出されてゆく。気分がよくなって私は吠えた。それにこたえるようにと遠くで犬が遠吠えした。私はくやしくなってケセラ・セラを英語で歌ってやった。


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