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別世界の出来事

 数百万円する腕時計をはめる人間がいることは承知していたが、2000万円の腕時計がガラスケースに陳列されていたと知って驚いた。この事実を教えてくれたのはバールを持って無計画にガラスを割って強奪後すぐに捕まった白仮面強盗である。あのニュースで庶民と金持ちの格差が際立った。
 数千円で正確無比な時計が買える時代なのに5万円のApple Watchを買うのに随分悩んだ。5万円の価値があるか、また使いこなせるか不安だった。2000万円する時計は時を刻むことはできるが、suicaの代わりや予定表として使ったり、キャッシュレス決済や万歩計として使うことはできない。
 高いから当然正確に時を刻むはずだ。してみると、あの高級時計は電波時計なのかもしれない。それを確かめようとネットで検索した。 調べた自分が愚かだったことにすぐ気がついた。まず2000万円どころか、億を超える高級時計まである。
「これでは音波時計かどうかは意味がない。」
それらは時計ではなく資産として存在している。いわゆるステータス・シンボルとして存在しているから、時間が進もうが遅れようが問題ではない。
 豪邸に住み、高級車に乗り、高価な装飾品を身につける。女性のバッグも首輪も宝石も、全ては宝石の散りばめられた国王の王冠と同じ意味を持つ。
「俺は偉いんだ。」
「金持ちなんだ。」
「人より優れている。」
この事実を自分以外の庶民に知らせなければいけない。大きなお城や豪華な行列は人に見せるためにある。それと同様に高級時計も人に見せるためにある。
 私が作文や動画やWEBサイトを作って「いいね」が欲しい気持ちと本質的に同じかもしれないと思った。ただ、負け惜しみに聞こえなくもないけれども、
「要は、何に価値を求めるか?」
これが大切であると言い聞かせた。
 それにしても2000万円の腕時計に魅せられた20歳前の若者が哀れである。彼らには進むべき道を示してやれる大人がいない。昔、荒れた中学で、彼らは暴行事件・窃盗・万引き・バイク・シンナー・飲酒・喫煙など、欲望のままに行動した。それに対して我々大人は体を張って彼らの前に立ちはだかった。彼らはきっと止めに入った大人の気迫に「やってはいけない」ことを学んだ。
「いや、そうではなく、」
彼らにとっては鬱積する気持ちを発散できたことが成長に繋がったのだろう。若者には鬱積する気持ちが生まれる。それを受け止めてやれる社会ではない気がする。だから、哀れに見えた。

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