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自己紹介と形跡 ・スタートアップ編

皆さん こんにちは
大阪に在住のインダストリアルデザイナーの飯田吉秋と申します。
愛知県生まれです。

飯田吉秋 - Wikipedia

はじめに、筆者の姓名「飯田吉秋」は非常に珍しい名前のようです。

GoogleやMicrosoftなどで検索してみてください。

サーチ言語として唯一のためにサイトを筆者の関係のみとなります。
大変重宝しています。

私は、1947年の生まれで団塊の世代で人口が多いことでいろいろな利害に遭遇しました。

その関係か、いつしか「人間万事塞翁が馬」が座右の銘になったようです。

私の名前の命名も、「人間万事塞翁が馬」で親には感謝しています。(笑)


デザイナーになりたと思ったきっかけは


幼少のころから母方の親戚に豊田自動織機の技術者がいたこともあって、母に「世のため人のためになる技術者を目指すように」と言われて育ちました。

町育ちの母は、農家に嫁ぎ、次男である筆者に技術者になってほしいと願っていました。

30日間このような環境でした

 1959年(昭和34年)9月26日)伊勢湾台風で中学1年(12歳)に名古屋へ疎開と同時に養子縁組で名古屋に移籍することとなりました。

筆者は、母の理想である技術者に、筆者の夢である「未来の乗り物 ホバークラフト」の技術者になるために、準備し始めました。 

名古屋栄近くの画廊にある彫刻家先生に師事。デッサンと美術館(1955年2月に開館した愛知県文化会館美術館)に毎週、通いました。

そこで名古屋市立工芸高等学校の産業美術という未来の職業を知ることとなりました。大同工業高等学校と名古屋市立工芸高等学校を受験する計画をたて努力をいたしました。

 1962年に 名古屋市立工芸高等学校入学いたしました。

彫刻家久野真先生(1921年)や担任教師日本画小寺礼三先生に師事、油絵大清水(粟田)暎子先生ともに3年間、制作する姿を見て学びました。また、藤井知昭先生(後に国立民族博物館)に師事をいただきました。

故・野崎悠子先生(1933年)は産業美術の担当教員(愛知県立芸術大学名誉教授)(夫はトヨタ2000GT開発者野崎喩氏です)にインダストリアルデザイン・バウハウスなど、3年間直接師事。素晴らしい教師から多くの考え方を学びました。

在学中からインダストリアルデザイナーをめざして準備。


野崎悠子先生の協力で在学中から松下電器産業に在職され高校の先輩である方々に高校での制作課題や業界の情報など手紙で相談をしていました。その過程の中で、松下資料DESIGN NEWSからナショナルステレオの飛鳥(デザイナーは故高田宗治)の記事がありデザインに感動をおぼえました。

学生時代にいただいた数冊の松下資料
故高田宗治氏のデザインしたナショナルステレオの飛鳥


学生時代に工業デザイナーという職能の理解。

1962年2月初版の、「工業デザイン 理論と実践」ヴァン・ドレーン著を(故)野崎悠子(2019.01.13逝)先生から紹介され購入し、Product design and development「製品設計とデザイン」の思想に感動した。インダストリアルデザイナーは、ものづくりの統合的役割(デザインマネージメント)を果たす職業と読み解き、素晴らしい次代を拓く職能であると感激しました。また、人間の生活をより豊かに創造する職能と理解し希望が膨れるばかりでした。

「工業デザイン 理論と実践」ヴァン・ドレーン著

4つ基本条件を基礎として実践すること

在学中の学びでデザインは、ビジネスの重要な役割を果たす職能であり、「顧客が支持する」「生活者に支持される」ものづくりを創造することが第一と学び、合理性、経済性、審美性、独創性の4つ基本条件を基礎として実践することと学んだ。


デザイン行為の3つの要素を把握すること

デザイン行為の要素は、①形態学、色彩学をデザインの「形式的要素」と捉え、②造形対象の目的用途、意味、様態などの要素を「内容的要素」又は「実質的要素」数学、物理学、化学の援助を受ける。時には生理学、心理学の研究をも取り入れる必要であると学んだ。


デザイナーは、未来を豊かに創造する職業で、多くの専門家と協力して、問題提起と解決する職能である。

要約すれば、「デザイナーは、未来を豊かに創造する職業で、多くの専門家と協力して、問題提起と解決する職能である。」と考えるようになった。
       野崎悠子教師の著、デザイン原論に学ぶ


インダストリアルデザインへのスタートライン

1964年初夏、採用通知 野崎教師より強く入社を進められ、結論を出し入社を決意しました。

入社日(昭和40年度)デザイナーの採用は全体で入社は3名。高卒は筆者1名。大卒2名でした。不況のため採用が控えられたようでした。

*2次の実技試験・面接受験の時は23から25名程いたように記憶している。

 
当時、人事責任者より面接時に松下入社の動機、希望を尋ねられた折「もし、入社出来たら何か要望がありますか?」と聞かれ、

         咄嗟に

『アンサンブルステレオ飛鳥をデザインした高田宗治さんのところに配属していただけますか。』とお願いしました。


面接時のお願いを叶えていただいた松下電器

私は、松下電器産業株式会社(現Panasonic)にて、インハウスデザイナーとして、ブランドがTechnicsでオーディオ製品のデザインを担当をしていました。主にスピーカを担当していました。

これぞ まさに私の人生は「人間万事塞翁が馬」です。
人生の座右の銘になりました。

テクニクススピーカ プロダクトアイデンティティーを確立した精鋭たち

皆さんにお知らせしている【自己紹介と形跡を『スタートアップ編』『インハウス編』『デザイン経営編』】3篇に分割してお知らせしたいと考え執筆いたしますのでよろしくご支援ください。

著書について

1998年6月 「コンピュータと情報端末機器デザインの変化」駐大阪台北デザインセンター
1999年6月 「個を表現する携帯電話」駐大阪台北デザインセンター
1999年6月 「DTPRツールのデザイン変化」駐大阪台北デザインセンター
2001年 5月 「デザイナーの新たなものづくり手法」駐大阪台北デザインセンター
2004年10月 「思いのままのモノづくり3DCAD徹底解説」オーム社より発行
2006年10月 「誰も教えてくれない3DCADデザイン術」ワークスコーポレーション
2008年 5月  「思いのままのモノづくり 美しい3DCAD」オーム社より発行
2009年3月 「インダストリアルデザインの発想とプロセス」富山大学
2010年 4月   「素材とデザインの教科書」日経デザイン 
2010年 5月  「素材加工事典」誠文社より発行
 

賞罰について

1977年 第25回毎日I D 賞、特別課題 
  特選受賞 
(MOVABLE SEFETY GUARD)受賞

1987年 「プレイトン」ODCギフト部門商品 
  最優秀グッドデザイン

1988年 「プレイトン」NY近代美術館永久展示選定
       「松下電器 NV-MC10」ムービービデオカメラ 
   シュシュツガルトデザインセンタグランプリ受賞

1989年 システムバッグ「HI・RA・ZU・TU・MI」
           
熊本デザインアワード優秀賞受賞
           デザインフォーラム銀賞受賞

1993年  「CD STACK」
    デザインフォーラム'93金賞受賞
               bio 14 Gold Medal 受賞
               
リブリアナ建築美術館永久コレクションに選定

2009年 「Kissシリーズ」グッドデザイン賞・
    中小企業庁長官賞受賞

2010年 「Kissシリーズ」 キッズデザイン賞 
   最優秀賞(経済産業大臣賞受賞)
          「nocilis」キッズデザイン賞・審査委員長特別賞

    内閣府バリアフリー・ユニバーサルデザイン
   推進功労者賞・優良賞

2011年   「Kissシリーズ」 iFデザイン賞
             知育玩具「nocilis」iFデザイン賞
                      グッドデザイン賞
                      キッズデザイン賞
                      グッドトイ2014受賞

2012年   「曲がる歯ブラシ」グッドデザイン賞受賞
                 キッズデザイン賞・奨励賞受賞

2013年     平成27年度大阪優秀発明表彰・
   大阪チャレンジ発明賞受賞
2017年  平成29年度近畿地方発明表彰・
   特許庁長官賞受賞

2019年 「nocilisファースト+』
   公益社団法人発明協会主催、

   令和元年度全国発明表彰の「発明賞」受賞
2019年 ユーシン精機 FAR『2019RedDot』受賞

詳細はセミナーなどでお会いしたときにご説明したいと思います。

心にしみいるデザインで商品を製作、販売したい。
世の中にない新規性を望む企業様。
スタートアップしたいがどのようにすればよいか企業様
是非、一度、お声がけよろしくお願いいたします。

最後までお読みいただきありがとうございます。
気に入った部分があれば、スキ ・ フォローをよろしくお願いいたします。


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