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人生の働く意味を教示いただいた忘れられないエピソード


筆者が経験した松下電器入社と配属においての感動の出来事。


プロローグ



松下電器入社試験(筆記試験、実技試験)後の面接試験の出来事。
面接官から、「もし、入社出来たら何か要望がありますか?」


と聞かれ、咄嗟に


『アンサンブルステレオ飛鳥をデザインした高田宗治さんのところに配属していただけますか。』とお願いした。
https://archive.g-mark.org/40th/japan/national.html


松下電器産業(現パナソニック)に入社できた。
心の中では、入社は無理だと思っていた。



1年の導入訓練・製造研修・販売研修後、ステレオ事業部に配属となった。松下電器産業に入社できただけでなく・憧れのステレオ事業部に配属され、夢と思える程の感動的だった。

面接試験において、唐突口にした言葉を実現して頂いた会社であった。
このように『働く人を大切にする企業』と信じ感動した。

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   この写真は松下工学院で『二十歳の会』私が撮影したものである。



現場教育とは


ステレオ事業部の教育のエピソード1年間の導入訓練後、ステレオ事業部の高田宗治グループ一員として活動することとなった。
グループは高田宗治さん・清水さん・私の3名でのスタートとなった。

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11人の素晴らしい先輩方々との意匠課で居場所をいただいた。

ここからがエピソードです。

机に鉛筆、三角定規、スケッチブック、ノートが置いてあった。
高田「ここが君の席だ。気張ってや!」
飯田「はい」
その後、プロジェクトの進行状況の打ち合わせと産業美術(インダストリアルデザインとはなに?。飛鳥開発の裏話とアドバタイジングの意味性などなど)の意見交換など充実時間があった。しかし、仕事の指示はなた。・・・・1日が過ぎた・・・・

飯田「仕事がしたいのですが・・・・・」とお願いすると
高田「わかった」
「次の商品のSGL-○○をデザインしてほしいのだができるか。」
飯田「はい?」
高田「アルミ押し出しのエスカッションを○○円程度で効果的なデザインをしてほしい」
飯田「SGLとは?何ですか」
高田「わからなければ仕事にならないな。」
飯田「どのように調べればいいでしょうか」
高田「ステレオを開発するために品番、素材、加工、意匠を引き継ぐための図面をどうすればいいか、それぐらい知らないと仕事はでけへんな?」と言われた。

少々気持ちに動揺をかさねたが、すぐに内容を理解した。


『品番、素材、加工、意匠を引き継ぐための図面』が理解できないとは共通言語の意味が理解ない間は仕事にならないと言えるからだ。


先輩に、まずステレオの業務工程(プロセス)についての質問、各工程の人の関り、着手会議の内容と意義、検討会議、方針決定、どのように推進すればよいのか。

またその役割、そして義務と責任の所在、権利等々仕事の工程を数人の先輩方々から仕事の合間にお聴きした。


プロセス表 (2)


ノートに記載しレポートにしていった。
情報は、学生時代に学んだ事と導入教育・製造研修・販売研修で学んだ事を再度読み返した。

・・・・・

『今何をなすべきか、を考える』

・・・・・

『松下電器の遵守すべき七ツの精神を規範とし、広く人から学ぶことを基礎』とある。

これを規範として行動計画を立てる。


入社から1年私の人生のために給料をいただいて学ぶ意味を考えると企業資源として価値ある人になること。


言い換えれば


一線で活躍できるデザイナーになること

現場の『一線で活躍できるデザイナーになること』を目的とし、目標を整理し、出来ること、できない事など 手段と課題をまとめた。


先ず、現場での共通言語の理解と作業環境の理解および把握を目標とした。

①.仕事の全体像を掴み、目標のイメージを構築すること。

②.業務の効率をより良く進めるために人間関係の構築。

③.取り組むべき優先順位を整理しすぐ実行する。

④記憶と記録のために仕事の流れとその計画を立案し業務推進をする。

等、課題整理と立案ができたので翌日からの数か月間の行動計画書を提出した。
まずは『役に立つデザイナーになるため』その都度に報告・連絡・相談・検討・修正をしながら推進した。


具体的取り組み

意匠課のすべての書類、品番、図面、位置、素材、品番体系、および関係先部門の企画、設計、品管、購買、営業の担当者及び責任者などを確認。

関係先に新入社員として、業務の円滑化行動を説明と業務把握意義を説明・重ねて自己PRもした。製造工場の組織を把握、営業の活動とは何か、等々をリサーチし、関係先との交流を重ねた。

そして、重要な外部関係先:試作モデル・共栄工場などのアルミ加工・大手印刷会社・樹脂成型・樹脂押し出し・板金加工・織物・天然木突板関係会社塗装会社・シルクスクリーン印刷・金型会社・プレス加工・ダイキャス・表面処理など数十社を訪問。

協力業務内容を理解と把握。ほとんどが大メーカであり、一流企業ばかりであった。

ここでも松下電器産業(現パナソニック)への感動と業務の責任を感じた。
報告書と報告資料を制作した。


上司は、新入社員の私を慮ってのことだった。

実は、私には知らせずに手配してくれたいたことは、後でわかったことだが、上司の高田さんは、私の計画書に沿って関係者すべてにお願いと手配を事前にして頂いてのだった。


此の事は、私の人生にとって終生忘れることはないエピソードとなった。


その後のプロジェクト実務であるが、

最初の仕事はセパレートステレオSE-510を商品化した。

おかげでヒット商品となり両親をはじめ、多くの方に購入いただいた。


そして第2作目は、セパレートSE-720M(下記添付画)を立て続けに商品化することができた。


1969年  国内向けSC-720Mシンプルなデザインで中級機としてヒットとなる(社長銀賞)費用対効果の高い商品となり、製造しやすいと責任者から評価えた。事前に製造工程との調整ができていたからだった。

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アンサンブル潮デラックスの開発販売。多くの設計者、購買担当、木工試作部門、共栄会社などの支援で商品化。リアルのウォルナットで構成さている高級品だ。

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上司の高田さんが米国への事業拡大として、第1次ハワイ会議。本会議ニューヨークで開かれる情報。プレゼンテーション用、商品のレンダリング数枚を梱包。その中に独断で少し方向性の異なるスケッチを2枚追加し梱包した。
高田さんに『もし、何か問題が起きたときこのスケッチを提案ください』とお願いして思いを伝え梱包した。

第1次ハワイ会議の後、
テレックス(*当時海外との伝達方法であった)
大まかな内容は『3in1は事業部間の問題があり、飯田君の提案した商品化可能性あり、本会議ニューヨークまでにモデルをつくり送れ』の指示。
すぐに関係者に集まってもらい、またモデル屋さんに急なお願いにもかかわらず努力いただき、商品化に成功した。


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1968~1969年 米国向けSC-840・SC-850円型スピーカ、円型ダイヤル等ユニークなデザインで大ヒット(社長銀賞)ダイキャストパネル・円型スピーカ・円型ダイヤル等ユニークなデザインと大好評で特にスピーカーグリルの樹脂成型方法が業界で話題となった、また180指向性グリルでいい音と評価も高かった。共栄会社の協力で成型後の後処理で今迄、誰もが発想していなかった【曲げても白化しない工法】を取った。(本来成型工場にはペレットの乾燥が必須条件であったが、製造責任者の協力で完成に到った。


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SE-850

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SC-430

1970年 アンプ、チューナ、ドームスピーカーシステムSB-500等の発売でオーディオメーカーとして地歩固まる

1975年 スピーカーシステムSB-7000 一挙にテクニクススピーカイメージUP(社長金賞)続き手、SB-6000、SB-500の開発をおこなう

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名器と言われた SB-6000 

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SB-F2とコンサイスコンポ

松下コンサイスコンポ_image


テクニクスV77

コンポが立った、コンポが立った CMで爆発的人気V5、V3、V7 テクニクスのコンポーネントの位置を確立する。此の発案はS4研修で京都の中川無線で販売研修した時、京都大学のオーディオ研究会の学生たちとの会話の中からイメージを掴んだ。

『コンポーが立った、コンポーが立ったV3・V5・V7』などゴールデンタイムに爆発的販売で会社に貢献できた。


スピーカ事業部のデザイン責任者となりスピーカ商品デザインは私と岩崎氏とすべてかかわった

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添付の商品深く記憶に記録されたプロジェクトであるが他多くの商品も同様に、導入教育と現場教育の賜物で、訪問した多くの会社様に多大な協力・支援を得て成し遂げた成果であった。


事例で言えば、共栄会社から多くの情報やコストなどデザイン検討会には、手元に加工情報や素材情報・おおよその原価など準備できていた。デザイン決定時には目標にあたらずといえどもとおからず原価が常に手元にあった。責任者は、一番重要なデザインと原価の関係の不確定要素が軽減され、時間短縮に喜んでいただいた。


教育メソッドは企業資源を創造する機能であった。

高田宗治さんの教育メソッドは、人的協力を得る価値化計画と目標の明確化。素材・加工などのアイデア支援多くの内外の関係者から支援・協力をしていただくこと、コストの適正化を行うなどである。

働く意欲の考えるを考える。
繰り返し、働く意欲の考えるを考える。のポイント記載するが

先ず、新入社員の場合は、現場での共通言語の理解作業環境の理解と把握を目標とした。

①.仕事の全体像を掴み、目標のイメージを構築すること。

②.業務の効率をより良く進めるために人間関係の構築

③.取り組むべき優先順位を整理しすぐ実行する。

④記憶と記録のために仕事の流れとその計画を立案し業務推進をする。

等、課題整理と立案の行動計画書が大切だ。

役に立つ『デザイナーになるため』には、その都度に報告・連絡・相談・検討・修正を心掛けることも必要ではないかと考える。

番外

故高田宗治は私が入社配属後の5年後に高田さんは独立、デザイン基礎研究所を開設。
上司だった高田宗治さんとは家族で交流をさせていただき故人となる日までお付き合いさせていただきました。
豊口協(1963年まで松下電器産業)さんから、ステレオ事業部に面白い破天荒なデザイナーが、入社したとの風のうわさで評価をいただいた。


新入社員を活かせるかは職場環境、受入れ側の考え方職場環境が大切。新入社員を配属する前に導入教育を実施し、企業の共通言語化ガイドラインによる体制づくりと、職場の行動規範を明確化することが望ましい。新入社員を受入れる際には生産性の高い職場に向けた人的相乗効果で価値化出来る体制を設定することも大切である。

テクニクスでのデザイン検討会情景2


新入社員には、その職務に向いていると示唆する必要性がある。個人の資質や仕事の能力について述べたり、スキルや才能を現在進行中のプロジェクトにどう活かせるか考えさせる。新入社員が入社して働く嬉しさを感じとってもらう気持ちや良い仕事をしてくれる事を確信していることも伝える必要性も伝えなければならない。そして、企業で活動する人の存在価値を明確にする必要である。


わたくしは、高田宗治さんのメソッドと松下電器の教育システムから多くの学び自分の存在意義を持ち続けることができた。

入社してから退職するまではたらく楽しさを増幅しながら過ごした記憶は価値あるものでした。

この考えは独立した今も第2の人生をたのしく、しあわせに導いていただいています。


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これは、1966年の昔々のお話しです。現在では参考になるかはわかりませんが多くの事を示唆していますね。

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業績 松下電器産業(現パナソニック)、記憶と記録にあるすべてではないが記載させていただきます。


1965-1966年 導入研修
1966年 セパレートSE-510 アンサンブル潮デラックスの開発。
1968年 (社長銀賞)国内向けSC-720Mシンプルなデザインで中級機としてヒットとなる(社長銀賞)
1968~9年 米国向けステレオミュージックセンターSE-840・SE-850円型スピーカ、円型ダイヤル等ユニークなデザインと大好評。
1969年 テクニクスはステレオ事業部に移管される。
1969年 テクニクスSC-430  4点モジュラー開発、好評、
1969年 ドームスピーカーシステムSB-100 SB-500 SB-700等の発売でオーディオメーカーとして地歩固まる社長金賞受賞。
1970年 輸出向けFM/AMステレオミュージックセンターSE-840M社長銀賞受賞
1971年、2月テクニクスロゴ全面的に広報
1971年 輸出向けFM/AMステレオミュージックセンターSE-850M社長銀賞受賞
1973~5年 創造性の開発、NO-1∼3受講、産業能率大学 亀崎恭尚研究員  
1974~5年  スピーカーシステムSB-7000 一挙にテクニクススピーカイメージUP(社長金賞)続いて、SB-6000、SB-5000のデザイン開発をおこなう
1975年  「コンポが立った、コンポが立った」 CMで爆発的人気V3、V5、V7 テクニクスのコンポーネントを確立する
1976年 スピーカ工場部門、電子楽器のチーフデザイナーとなる
1976年  SB-F1のコンセプトモデルを提案。
1976年  単品販売高級ツイーター10KH501ボロン振動版のデザイン開発
1977年   SU-9011A、SE-9021A  ST-9031Tシンプルデザインで好評。通産省Gマーク選定
1977年  第25回毎日I D 賞、特別課題 特選(MOVABLE SEFETY GUARD)受賞
1978年   生活のサイズを意識したSB-F1、SB-F2、SB-F3ダイキャストミニスピーカをデザイン、
全世界で大好評、市場初60万台販売
1978年 小型本格システム・コンポーネント・ステレオセット「コンサイスコンポ」発売。
1978年7月22日から8月6日 オーディオ使用環境など調査のためヨーロッパ視察大阪・ドイツ・スエーデン・デンマーク・イギリス・フランス・イタリアなど一般住宅訪問および市場調査。家庭と販売店、電気店を訪問など11日間の視察。
1979年   業界初のハニカムディスクスピーカをデザインする。SB-10、SB-7、SB-5
1981年  業界初のハニカムディスクスピーカモニターSB-M1開発
1982年   イタリア・ミラノ、SIMUショーでSB-10,SB-7デザイン賞受賞
1983年  退職最後のプロジェクトとしてザ・コンサイス SA-007デザイン開発 
1983年 ミュンヘン応用美術館SB-F1,SB-F40永久展示となる
1980~83年 通産省Gマーク推進担当として活動、テクニクス商品を業界TOPにするとともに選定率No,1とした。
1983年 松下電器株式会社退社

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