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『雲になった少年』 作/森下オーク

『雲になった少年』  森下オーク

 よく晴れた日のことでした。西の草原では、国境をめぐり、朝から激しい戦闘が行なわれていました。

 赤い閃光が飛び交い、大地を揺るがす爆発音のなかで、多くの若者が倒れて行きます。冷気を帯びた草原の風とはうらはらに、辺りは赤く燃え上がりました。

 炎から逃れるために身体をおこした、少年兵がいました。起き上がったせつな、その彼の心臓を一発の銃弾が貫きました。少年は、子鹿のようにひとはねし、そのまま後方へと倒れ込みました。
 
 少年は、青い空を見ました。白く大きな雲を見ました。薄れ行く意識の中で、兄弟たちと遊んだ故郷を思い出しました。家の屋根の上に寝転んで眺めた、白く大きな雲を思い浮かべました。
 
 あの雲のようにどこまでも自由になりたい。少年の命は溢れ出た涙とともに尽き、そのまま空へと昇りました。少年は、白く大きな雲になりました。
 
 はるか地上には、さっきまでライフル銃を持って戦っていた草原が広がり、ときおり赤い光が見えます。上空を見れば、宇宙へ繋がる青い空が深く広がっています。
 
 少年は自由でした。なにも考えることなく、ただ風に身を任せました。憧れていた“海”を眺めることができました。大都市のきらびやかなネオンや、空一杯に輝く星々を眺めることが出来ました。
 
 少年は満ち足りていました。どこまで、どこまでも自由でした。
 やがて、朝になりました。少年は、東の空から昇る朝陽に、赤く照らされました。その朝陽の美しいこと。少年は、地球と宇宙の誕生と、静かで激しい鼓動の中にいました。
 
 しばらくすると、少年は、ある変化に気がつきました。朝陽が落ち着き、周りの雲はもうすっかりいつものように白くおさまっているのに、自分だけが赤いままなのです。それは、朝陽に照らされた美しい赤色ではなく、もっと濃く臭気を帯びた赤色でした。
 
 少年は、ひどく焦りました。自分だけがどうして赤いままなのだろう。周りの白い雲、よく見るとその上にいるたくさんの動物も、植物も、不安げな眼差しで少年を見つめています。

「君の真っ赤な手を見てごらん。君は何を手にしているんだい?」

 少年は、声を聞きました。声の主が誰だかは分かりませんでしたが、少年はあわてて自分の両手を見ました。そこには、真っ赤な手と、肌身離さず持ち歩いていたライフル銃がありました。
 
 ライフル銃の先からは、ドロドロと真っ赤な血が流れ出て、少年の頭から足の先までを赤く染め上げていました。
 
 少年は、空へ昇るとき、いつもそうしていたように、ヘルメットを被り、ライフル銃を肩に担いで昇ったのでした。ライフル銃の先からは、戦争で命を奪ってきた人々の血が、流れ出ていたのでした。

「君の真っ赤な身体を見て、みんなが不安に思っているよ。君は、それを元の場所に戻さなければならないよ。だけれども、そうしたらもうここへは帰ってこられない」

 少年は、それでもいいと思いました。

「僕、これを地上へ返すよ。だけれども、この銃を手にしたものが、またこれで人を殺めたらどうするの?僕は、どうしたらいいの?」

 声は、答えました。

「それは、命を奪うことを目的として生まれてきたものだ。ここには必要のないものだ。地上の人々には、必要なものなのだろうか?どうして、命を奪うものが生まれてきたのだろう?」
 少年は、深くうなだれました。しばらくそうしたあとに、顔をあげ、みんなの顔を見渡して、さようならと告げました。そうして、地上へ向かい雲の上から飛び降りました。

 下降してく中で、少年は涙を流しました。戦争のこと、家族のこと、雲になって旅をしたこと、様々なことを思いました。思えば思うほど、涙が溢れました。少年の涙は、一しずくの雨となりました。少年もまた、一しずくの雨となりました。

 雨は戦火の草原へ降り注ぎました。燃え盛る炎を消し、傷ついた兵士を癒しました。戦争に巻き込まれた全ての人々を癒しました。雨は、大地を潤しました。やがては、木々も芽吹くことでしょう。誕生する生命もあるでしょう。青い空と、白い雲は、いつまでも優しく見守っていることでしょう。

(おしまい)

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