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睡眠薬「デエビゴ」と副作用の異常な夢

私が長らく不眠症を患っているのは周知の事実だが、最近はデエビゴを飲んでいる。

デエビゴとは一般名レンボレキサント、脳内にある覚醒状態を維持するオレキシンの働きを低下させて、睡眠を促すというものだ。

この睡眠薬が画期的なのは依存性と耐性獲得がほぼないところだ。一般に使われているベンゾジアゼピン及びその類似の薬は効果はいいが依存症になるデメリットがあった。デパス(エチゾラム)などが有名ですね、良くも悪くも。

しかしデエビゴには大きなデメリットがある──レム睡眠の増加だ。

レム睡眠とは「Rapid Eye Movements: REMs、急速眼球運動」というもので、要するに……夢を見る時間が増える。

夢を見る時間が増加することで悪夢や異常な夢を見る可能性が上がる。
私もこの夢関連で苦しめられている。

デエビゴを飲んでも私の強固な不眠症は完全には勝てない。飲んで数時間もすると目が覚める(中途覚醒)。しかし完全には目が覚めていない。この夢と現が曖昧に混ざったような状態が毎日発生している。

いや、もしかしたらこの「曖昧に混ざったような状態」も異常な夢なのかもしれないが、確かめようがない。兎にも角にもこの状態で私はいろいろなことをしている。例えばカーテンを開ける、スマホをいじるなどだ。

まだ午前3時なのにカーテンを開けるのは意味がわからない。しかしそれをしているときの私には明確な行動意思がある。それこそが絶対善であるかのように。ロールズの言う「正義」であるように。しかも、デエビゴの影響下から逃れて正気と一般に言っていい状態(かかる書き方をするのは私の正気が担保されていないからだ)になってカーテンを見ると開いている日もあれば、しまっている日もある。つまり、「カーテンを開けた」というのは完全に夢ではない(完全に夢ならばカーテンは常にしまっているはずだ)し、完全に現実でもない(完全な現実ならばカーテンは常に開いているはずだ)。

スマホもそうだ。デエビゴの影響下で私はスマホをいじっている。カーテンと同じく夢か現実かはわからない。しかし実際にその曖昧な状態でTwitterに書き込んであることがあったり(朝になって完全に起きたら変なのは消しています。前にフォロワーさんたちから本気でおかしくなったと心配されたので…)、逆に書き込んだつもりが何も起こってないこともある。

何が現実で何が嘘なのか?もしかしたらこのnote自体が嘘で夢なのかもしれない。デエビゴを飲んでから自身を信用できない。結局のところデカルト・コギト(「我思う、ゆえに我あり」)にたどり着くのだが……もしかすると、デカルトが決して疑えない最後の砦として維持したかった「我」もいまいち信用できないのかもしれない。となると、全てのものは幻であるのかもしれない。しかし、実際問題今ここに「体感」している自己は存在する。けれどもこの自己はデエビゴの支配下にあるただの「自己の見た夢」なのかもしれない。つまり……いややめておこう、誰も哲学の話など望んでいないのだからね。

ということでもうわけがわからないよ。あらゆるものが疑えてくる。もちろん、真っ先に疑うべきは私自身だ。デエビゴの恐怖をみんな経験してみよう。マイスリーの健忘とは違う、それを超えた、デカルトの唱えたこの世界で最も信頼できる自我や現実が曖昧になり、溶け合い、薄れていくのを味わえる。アーマード・コアのある曲でも何度も何度も「全ては幻想だ」と歌われているのがよくわかる。そう、全ては幻想なのだ。お前も俺も。




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