見出し画像

読書メモ:「戦争体験を継承するためにー私たちを励ますもの」

今野日出晴「戦争体験を継承するためにー私たちを励ますもの」『歴史地理教育』2022年8月号(943号)、4~9ページ。

目次

1.「文化の裂け目」を意識する
2.教師にも生徒にも戦争体験が心に届かない
3.なぜ戦争体験を継承するのか

本稿の概要

 著者の今野日出晴は、岩手大学の教授である。専門は、歴史教育・社会科教育・歴史叙述・現代史と紹介されており、近著には『歴史学と歴史教育の構図』(2008年、東京大学出版会)がある。1981年3月に東北大学を卒業している(これらの情報は岩手大HPより)。
 本稿のスタートラインとして、今野は戦後文化のイメージを残している世代と戦争を娯楽として享受している世代との「文化の裂け目」を指摘している。ある生徒の特攻隊に関する「一人の命で多くの命を奪える、コスパが良いというか…」という発言を紹介して、若い世代は戦争を「商品」や「心霊スポット」のような娯楽文化として享受していると述べる。こうした娯楽文化を教授している世代からすれば、戦争を抽象的に「消費」することについてなんの後ろめたさもなく、彼らはなにが問題なのかさえ全く理解できないであろうとしている。
 そのうえで今野は、教える側(教師)も戦争を娯楽として教授している世代にシフトしてきていて、戦争体験が教師の心にも響かなくなってきていることを指摘する。広島や長崎、沖縄の被曝体験や戦争体験を語る講話は生徒の心に届かない。また、ガマでの暗闇体験で生徒が「霊」が憑依する現象の増加は、「業者任せの中で、十分な沖縄戦の知識もない状態で、「心霊スポット」化されている場の力に、過剰に感応して起こってくる事態」であるとする。その背景には、教師の平和学習への「嫌悪感」が生徒に見透かされていることがあると、今野は述べる。「教師のほとんどは、自らも「平和教育」をおこなったことがなく、かつて学習者としても、戦争体験を正面に捉えた「平和教育」で心を動かされたという体験を持たない」とする。その一方で、ヨハン・ガルトゥングの「構造的暴力」の影響で、平和教育は80年代以降において新たな展開を示したことについても触れている。また現在の学習指導要領が、育成したい「資質・能力」を軸に編成されることに触れて、そのことがなにが「資質・能力」に資するのかふるいにかけられることを危惧している。
 今野は最後に、「なぜ戦争体験を継承するのか」を問うことが大事な意味を持つことについて述べている。「私たちが生きることにおいて、戦争体験を継承することには意義があるのか。心静かに問うてみる。そうした根源的なところまで立ち返らない限り、戦争体験を商品として消費し尽くそうとする大きな波に争うことはできない」と述べる。この点において、今野は2つの取り組みを挙げている。そのうちの1つは、広島市立基町高校の取り組みだ。これは戦争を体験していない高校生が、戦争を体験した方(被爆者)の体験を聞き取って、その体験を絵に描こうというプロジェクトである。今野はこうした取り組みが、「命」を「数」に換算して「戦果」として抽象化するような趨勢に抗う鍵であるとして、「固有の名前と生活を持った、戦争体験に正面から向き合う頃の意味が理解されるであろう」と述べる。そして学習内容として大事にされるべきは、「沈黙や内省、自己内対話が、大事にされるような〈場〉を想定した」、「遺された戦争体験を手がかりに、犠牲者たちの失われた体験に思いを馳せ、眼を凝らして想像しようとすることとして、学習活動を深めていく」ことであると述べる。

感想など

・私の場合、祖母が東京大空襲を生き延びた人であるということもあって、幼いころから「平和教育」をされてきた。東京大空襲については妹が夏休みの自由研究でまとめていたことを覚えている。また、親戚が呉の生まれで、原爆投下の時も呉に住んでいたということもあり、広島への原爆投下についてもたくさん教わってきた。教員1年目の夏休みに、改めて広島の平和記念公園に行った。そのときに見た広島の青い空と「過ちは繰り返しませんから」の碑を見た時の決意というか、なんとも言えない気持ちは今も忘れられない。
・そういう背景もあって、社会科教員たる私としては、「平和教育」は職責の一部であると考えているのだが、私はなかなか特異なケースなのだろうか?若手も結構、「平和学習」はこだわりますよ。ベテランの味は出せないと思うので、そこはベテランの先輩方に助けてもらいながら、ね。
・ある生徒の特攻隊に対する「コスパ」発言は、なかなか衝撃的だった。小学校・中学校と教育を受けてきた人ならば、特攻隊とコスパを結びつけて考えることはあっても、それを発言すべきでないという程度の認識はあるだろう、と思っていたからである。危機感を持って「平和学習」について考えねばと思った。
・「業者任せ」の修学旅行、という内容にも驚いた。まだ2校目だが、どちらの学校も修学旅行に熱心な人がいて、その先生を中心に教員がみんなで協力して修学旅行を作り上げていた。
・全体的にとても歴教協っぽい論考だと思った。特に最後の部分で、「固有の名前と生活を持った」という部分が歴教協っぽい。
・『戦争は女の顔をしていない』の授業をいま作っているところだが、それについてとても示唆に富む論考であった。ヒントになる部分がたくさんあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?