水滴

1+1=2であると学校で教えられたし、それが小学生として当然の答えだった。1+1=3と黒板に書く友人は馬鹿で、答えを知っているわたしの方が優等生なんだ、と。けれど大人になってみた今、その2を求める時に、足したり引いたりするそんな単純作業では、到底求められない答えがあると知った。しかもそれは真剣に解いたところで必ず2になるわけではない。努力の上で求めてもいない30になったり、緻密な計算を重ねた結果、-7になったりもする。 もう考えたって仕方がないような気がした。簡単で易しい答えを教えて欲しくなることだってあるはずなのに。わたしは単純に答えが欲しいだけなのに、いくら探したって見つからない。もう諦めてしまいそう。

お風呂から上がったわたしの髪をつたってぽたぽたと水が床に落ちる。それは、さっきまで全身に浴びていたはずのその水が、急に汚らしく感じる瞬間だった。人が愛されて、嫌われていく様はきっとこんなふうなのだろう。足元の珪藻土マットは瞬く間に乾いて、ほんの数秒前の湿度も記憶も消し去っていった。

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