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「紳士」に対する辛辣な意見

今回は男性、それも「紳士」に対する意見に関してまとめておこうと思います。明治時代以降、いわゆる紳士と呼ばれることは、西洋の知識を持つ知識人という敬称の意味合いもさることながら、西洋の猿真似をする滑稽な人物として皮肉を込めて「紳士」と呼ばれることも多々あったようです。


紳士とは何か

そもそも紳士とは何でしょうか。英語のジェントルマンの訳語で、明治前半に生まれたものです。その正確な起源は明らかになっていませんが、本論の理解に役立つと思われる一説を取り上げます。明治34年の二六新報「映し出す紳士の起源」の記事(第一千三十號 明治34年9月16日)では、明治12年に初めて紳士という言葉が使われたと紹介されています。当時の前米国大統領グラントの来日に際し、渋沢栄一や益田孝といった実業界の大物が接待委員を務めました。この様子を接待委員の一員であった福地源一郎が「東京日日新聞」で大々的に報じました。「二六新報」はこの記事について次のように述べています。

福地が日々新聞に自畫自賛の喇叭を吹立るに、豪商といふも大賣といふも面白からねば、英語のゼントルマンに當はめて紳士紳商といふ熟語を作り、此一派の人人の姓名の上に冠せたり、紳士の起源まツ此通り

二六新報

豪商、大買いの代わりに「紳士紳商」という熟語を作ったと記述されていることに注目します。日本においてのジェントルマンの意味するところは、豪商、つまり経済的に成功し、社会的地位を得た人物のことを指し示していると考えられます。「商」の字が使われているところからも、日本における「紳士」という概念が商売や経済と結びついていたことがうかがえます。


「真の紳士」と「似非紳士」

明治・大正期には礼儀作法書が多数出版されました。竹内里欧によれば、明治10〜30年代には翻訳物が多く、西洋の文化の「紹介」や「啓蒙」的性格が強かったのに対し、明治後期には「交際」、大正期には「社交」といった語句をタイトルに入れるものが多くなり、紳士である条件や社交術を授ける作法書が台頭します 。そこでは「生半可」「感染(かぶれ)」といった言葉の流行や、差異の強調など、知らない者を排除するという機構が出来上がっていきます。竹内は、このような緊張関係が「紳士」という理想像を成立させた、としています。つまり日本における「紳士」とはあくまで理想的な人物像であり、しかもイギリスにおけるジェントルマンの訳語でありながらその意味内容は礼儀作法書の差異化の運動の中で生まれた独自のものと見ることができます。
この運動は「真の紳士」と「似非紳士」という概念を生むことになる。1898年『反省雑誌』の「所謂当世流を論じて士風の頽廃に及ぶ」という記事には、「当世紳士」、「所謂紳士」、「偽紳士」、「似而非紳士」、「骨抜紳士」、「一山百文紳士」という記述が見られ、真の紳士が存在し、紳士として内面的・外面的に欠格しているものは似非紳士だという主張が行われています。ここでは「紳士」というものが一つの規範として働いています。


所謂紳士

尾崎紅葉『三人妻』 には

衆には御前と敬はれて、上流社會に籍をおけば所謂紳士なり。紳士といふは金持といふことにあらず。諸人の規範となるべき人を指せる名義なれど、今は金ありて美しき衣服着れば、誰もかく呼ぶ慣習。餘五郎も理窟は無き錦きたる木拾ひにて、そんな事は糸瓜の皮とも思はず、我拵へた金、好きな眞似をするに、故障をいうて來る所はないはずの了簡にて、其處がどうも金持の面白さ。

尾崎紅葉『三人妻』


という文章で描写される餘五郎という成り上がり者が登場します。ここで呼ばれている「所謂紳士」とはつまり似非紳士です。経済的に成功し、着飾ってさえいれば紳士であると皮肉を込めて描写されていることから、単に金持ちであるだけでは紳士ではないとの批判が読み取れます。
また、三宅雪嶺は「紳士とは何ぞ」 の中で「紳士」と認められるためには国家に対する貢献度を一つの条件に挙げています。ただ経済的に成功して着飾っているだけでは紳士とは呼べないというこの見解は「似非紳士」に対して「真の紳士」を対置する典型と見ることができます。
 以上のように、「真の紳士」として理想的な紳士像を掲げ、それに見合っていない紳士を「似非紳士」として批判するというレトリックが明治時代には存在しました。それはつまり、「似非紳士」も欠格要因を補正し、真に紳士らしく振る舞えば「真の紳士」となることができる、という当時の理解を暗に示しています。これは明治時代に存在した「成功」という概念や、「立身出世」と類似しています。


西洋に対する過剰反応

さて、ここまで見てきた紳士に対する辛辣な意見は何に由来するものなのでしょうか。一因には、西洋に対する憧れと反感による過剰な反応があるということが推測できます。宮武外骨創刊の月刊誌「スコブル」第五号にはこんな記事もあります。

西洋心酔のバタ臭い奴共は、何でも西洋西洋とヌカして西洋人を崇拝し容貌などでも西洋人は立派で日本人は劣等であるかの如く云ふが、此方右に出してある寫眞を見ろ、外國の好神士だと褒めるだらうが、右の奴は日本の男地獄伊井率降に似、左の奴は社會主義の色魔大杉栄に似て居るぢやないか、日本の下等人物の容貌でも此通り西洋人に負けはしない

スコブル

日本人も西洋人と大して変わらない、ということを面白おかしく脚色して書いたのかもしれませんが、西洋心酔のバタ臭い奴、下等人物などとまでいう必要はないと思います。西洋的な人物(それは多くの場合紳士と呼ばれた)を馬鹿にしていないと己のアイデンティティが保てないほど、何もかもが変わりゆく時代だったということかもしれません。

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