麓の家
一人暮らしで初めて住んだのは、山の麓のアパートだった。
高校を卒業後、地元から車で二時間半ほどの大学に通うことになった。引っ越しの準備を済ませ、父親の運転する車で山深い道を進みながら新居を目指した。私は最初から反対だった。学校に近く、家賃が安いというだけで母親が決めてきた物件。コンビニが一番近くて徒歩30分、バスも登校時間に2、3本でそのほかは2時間に1本あるかないかだった気がする。絶対に途中で引っ越そうと密かに考えていた。
車酔いし、最悪の気分で着いた。大家さんから事前に預かっていた鍵で部屋を開けると、割ときれいで広い廊下が見えた。玄関の両脇を挟む形でキッチンとトイレがあり、トイレの隣が脱衣場と風呂。廊下の奥に扉で仕切られた8畳ほどの部屋があった。大きな窓が一つと備え付けのストーブ。部屋の真ん中には特にこだわりのないテーブルがひとつ。大学生活はここから始まった。
住めば都とはよく言う。ブツブツ不満に思っていたが、実際のところ住み心地はなかなかよかった。冬場は雪が降ると毎日大家さんが雪片づけをしてくれ、果物などを差し入れてくれたりした。また、大学までは徒歩1分ほどであるため、1コマ目の授業がある日は前日から友人と集まって宅飲みをしたり、論文提出のため夜遅くまで学校に残っていても差し支えなかった。
ただし、バイトに関してはかなり苦戦した。何しろバスの本数が少ないので勤務時間や日数は限られており、最終を逃したときは同じ職場の人のご厚意に甘えたり、当時お付き合いしていた方に迎えに来てもらったりしたこともあった。思い出を語ると色々ありすぎて尽きることはないが、なんだかんだ卒業まで住み続けたし今ではとてもいい住処だったと思う。
通常物件を決める際、築年数、立地の良さ、交通手段などの実利的な部分で決めることがほどんどであると思う。実際、同じ学校に通っていた学生のほとんどは麓からさらに下った比較的街中に住んでいた。その方が便利だし生活の不便さも軽減される。また社会人ともなれば、通勤し時間に追われ、働き、寝るために家に帰るということもざらにある。そんな余裕のない状況では不便さが大きなハンデとなり、生活もままならなくなるであろう。
だからこそ、学生時代には少しだけ不便を楽しんでもいいのではないかと思う。セキュリティ的に極端に危険な場所でなければ、あれこれ工夫して考えて試行錯誤していくのが妙に楽しかったりもするし。最初は不満が多かった私もひとりで山を散策してあけびを見つけたり、突然現れる広い平野でお茶を飲みながらのんびりするなどして生活を豊かにすることができた。
そんな「はじめて借りたあの部屋」だった。
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