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【創作】白い靴の娘 #シロクマ文芸部

 白い靴を脱ぎ捨てて、本宮朱莉あかりはそれを男に投げた。

「ストーカー、どっか行け」

 靴は男の肩にぶつかり、どこかに消えた。
 なんか間の悪い時に、外に出たな。
 カフェ〈砂時計〉でのバイトの休憩時間。裏口から外に出て、綺麗な空気を吸おうと思ったらこれだ。
 あの男は、誰だ。ストーカーとは聞き捨てならないが、乱暴な奴なら、かかわりたくない。
 いや、別に朱莉がストーカー被害に遭ってもいいというわけじゃないけど。

「警察、呼ぼうか?」

 無難な問いかけをした。

「どうする? 親父? 木崎が警察呼んでくれるって」

「え、親父? あの人、本宮の親父さんなの?」

「生物学上はね。法律的には違う」

「親が離婚したってこと?」

「そう」

「離婚しても、法律的に父親なのは変わらないんじゃないかな……」

 語尾が弱くなる。断言できない。本当に法学部なのか、俺。

「だとしたら、法律が間違ってるよ。わかった、親父? 帰って、帰って。今度店に来たら、包丁投げてやる」

 朱莉なら、やる。それは、親父さんにもわかったようだ。朱莉、話をしよう、話がしたいだけなんだ……などとつぶやきながらも身体は後退し、やがて夜の街に消えた。

 朱莉は、ふうっと息をして、店の壁にもたれた。俺は、男が立っていたあたりまで行って、地面を確認した。仄暗いアスファルトに白い靴が浮かび上がる。それを拾った。高価そうな靴だ。〈砂時計〉では、朱莉はおしゃれな奴だと思われている。「さすが美大生は違うよね」とかって。色彩センスが違うとか何とか。俺には、奇抜な装いにしか見えないが、異議を唱えるつもりはない。

「ほら」

 朱莉に靴を渡した。

「ありがと」

「あの人、本宮と話したがってるのか」

 黙っているのも何なので、そう訊ねた。朱莉のことだ、嫌なら、答えないだろう。

「ウザいよね。年下の彼女に振られたか何かで、娘が恋しくなったみたい」

「もしかして、お父さんの不倫で離婚したとか?」

 そんな質問をするなんて、芸能レポーター並の図太さだなと思わないでもないが、好奇心が止められない。うちの両親は、仲が良くもなく悪くもなく、いるのかいないんだかもはっきりしない人たちだ。自分が親父に靴を投げつけるなんて、想像もできない。親父が好きだからではなく、そこまでの感情がない。
 朱莉の情熱が羨ましいほどだ。たとえ、負の情熱だとしても。

「そんなんじゃないの。親父は……」

 朱莉は長く話し込みそうな表情になったが、ふと気付いたようにスマホを見た。

「行かなきゃ」

 休憩時間が終わるらしい。朱莉は、手に持ったままだった白い靴を履く。

「今思うと、離婚してくれてよかったんだけどね。親父が成金趣味だったから、私、お嬢様女子大の付属小学校に通ってたんだよ」

「……お嬢様……」

 間違いなく、朱莉の対極にある言葉だ。

「子ども同士でティーパーティーなんかやって、ピエール・エルメのマカロンは最高ですわね、とか言い合うの。そんな世界を普通だと思ってたなんて、自分でも信じられない」

 そう言って笑うと、朱莉は裏口に向かった。
 大雑把で楽しげで、苦労知らずの呑気な奴だと思っていたけど、朱莉には朱莉の事情があるらしい。いるのかいないのかわからないような親でも、親は親だ。そいつに向かって、ストーカーと叫ばなければならないなんて、あいつも苦労しているんだな。そう思って、裏口から消える朱莉の後ろ姿を眺めた。今度、親父さんが現れたら、俺が話をしよう。そんなことまで思ったが、思ってすぐに自分をいさめる。Pity is akin to love、可哀想だた、惚れたってことよ。高校時代の先輩がよく言っていた(注1)。同情は恋に変換しやすいということだ。
 ついこの間も、不器用なのに熱心に働く飯塚さんに同情してしまった。実はレジの金盗人だったとわかった子を。朱莉は、俺が飯塚さんに惚れかけたのを知っている。それなのに、今度は自分を好きになるなんて、気の多い男だと呆れられるに違いない。
 やれやれ。ストレイシープとでもつぶやくか。これも、先輩が教えてくれた言葉だ。迷える子羊、迷える子羊。今の俺にふさわしい言葉……けど、なんか眠くなってきた。眠れない夜に唱える呪文に似てるな、迷える子羊、一匹、迷える子羊、二匹って。

#なんのはなしですか

今週も、うまくまとめることができませんでした。

注1 夏目漱石『三四郎』にある言葉です。ストレイシープも同じ。

 
惚れっぽい木崎の最初の恋

朱莉と母親の物語


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#シロクマ文芸部

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