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今村夏子「こちらあみ子」のなかの「チズさん」についての考察を書いてる人が少ないのでワシが書く。

本文を書くために必要な読まなくていいまえがき


基本的に本を読んだあと、「私には分からない」という感想を持った人は他人の考察を見に来る。あ、どうも。あなたはまさかそういう人? 少しおちょくってみるが、考察記事は大抵自分の気になるところしか読まれないのでここに何を書こうと読まれる率は1割3分8輪2毛あたりだろう。故にこの4つの数字が大事なパスワードということを言ってもなんら問題がないわけである。何せもう自転車は盗まれているのだから。

ここから下がお目当ての本文です。

簡単なあらすじすら述べない。読まずに考察記事を見る人なんていないからだ。

本を片手に読んでもらう形で考察していく。まず最初に書かれている「真っ直ぐに立てない」という記述を読んだ私が最初に思ったのが「乙武さんみたいな状態なのかね」である。思ったので仕方なく書かざるをえない。全体的に左に傾いているという記述があることで、私は恐らく右腕がないのだろうと予測した。人間の腕は1本約5キロである。それなら傾くだろうと思ったのだ。手押し車を押してしか歩けないというので足腰が弱いのは老人ならわかる。なにせ徒歩五分のスーパーに行くのに三十分もかかるといっているのだから。

さて、その手押し車を握りしめたまま左に倒れそうになるというチズさん。ここでもうこの考察は破綻した。左腕があるのに左に倒れるとは考えにくいからだ。同じページどころか2行先で破綻する考察はいかがなものかと思うが、こうなるともはや腕があるのかないのか分からない。

次の場面にいこう。主人公?である「私」が右手でチズさんの腰を抱えて、左手で買い物袋の入った手押し車を引きずりながら歩き、工事のおっちゃんにからかわれるシーンである。「私」の右側にチズさんがいる構図である。ここでも私の右腕がない論は破綻する。死体蹴りはやめて欲しい。普通腕のない人の腰に手を回すなら腕がない側からであろう。よって右から支えないなら右腕がないという理屈は通らない。それなら左腕がないのでは?それが次に私が考えついたことだ。

チズさんは傘をさせないのである。その理由は腕がないからではないか。特に閉じるのが大変だと思う。片手で傘を使ってみた。まずは傘を開くためにボタン付きの紐を外す。これも片手だと少し難しい。傘本体を持ち、親指と人差し指で外す。その後、取っ手を持ち、開閉ボタン(開けるためだけのボタンではあるが)を押すと自動で開いてくれる。ここから畳む作業をする。股間に取っ手を突き立て(別に快感を得ようというのではなく、そこがいちばん広くて硬いから安定するのである。いや、硬いのはそういう意味じゃなく)蜘蛛の巣のように広がった脈を統合する根っこの部分的なところを掴み手元側に引く。そしてボタンをつけてかさばらないようにしまおうとするが、かなり大変な作業である。その点で、傘をさせないのではないかと思う。

また、工事現場のおじさんにからかわれるということは、「私」が女性あるいは細身な男性であるということを思わせる。ゴリゴリのマッチョが褒められて恥ずかしがるわけは無いので、どちらかであろうと考える。その後の英会話のシーンは必要な要素なのかが分からない。「私」の家から英会話のCDを持ってきているということは、少なからず勉学に励もうとする家庭なのかもしれない。

引き継ぎ帳の存在は、「私」が部外者である事を示しているので重要だ。介護ヘルパーさんの引き継ぎをするための情報として残されているものだと思われるが、どうやら引き継がれていないように思える。それを恐らく盗みか何かに入った「私」がたまたま見かけて、チズさんに取り入ったのではないかと思われる。そしてチズさんは「みきお」という孫の名前しか言わない。息子ではなく孫のことを。私に孫はいないので想像するしかないのだが、この辺はただ一般的なボケたおばあちゃんを表現していると思われる。

次の場面、ここはかなり謎である。どうやら「私」以外に人の出入りがある。作られたばかりの肉じゃがや、生活のズレがないように時計やカレンダーは手を入れられ、財布の中身も増えている。みかんがへそに乗っていることもあった。つまりこれらをどう考えるかは謎を解き明かすのには必要な要素と言える。恐らくは時期が冬の頃を示すことで、作中の今の時期が冬の後ということを示すだけかもしれない。ただ、今の情報だけではこれを解き明かせないと思うので後回しにさせていただこう。

万引き計画未遂の後の仏壇にカステラがありそれを食べた描写。おじいさんは亡くなっており、カステラを供える金はあるのかと思ってしまう。誰が来ているのだろう。

もはやここで確信犯だなと思うのは、植木鉢の下に鍵があるという情報だ。「私」は初めてここに来たであろう時にその鍵で入ったのだろう。なんと礼儀正しい空き巣だろうか。チズさんが喋る描写がない以上、植木鉢の下に鍵があるという情報を得られることはない。「私」という存在も謎が解けない。

誕生日ケーキのシーン。「私」の不気味さが増す。右足で床を鳴らし、チズさんが弾むほどの衝撃を与えた。QUEENの曲のときか葦名一心の第二形態くらいなものであろう。このシーンで感じるのは暴力性ともいえるし、関心を持って欲しいという欲求ともいえる。家族ごっこをしているのかもしれない。フォークが1本だけなのは、チズさんが1人で暮らしているというのを表す要素である。

本物の家族がやってきた。「私」は隠れなくては行けない。何せ部外者なのだから。ここで隠れないででていこうというのは、引き継ぎの介護者であると騙さると思ったのだろう。しかし流石に無理だと思ったのか、トイレに隠れる。

「盗るものはない」「米寿」「お供えもの」
「松江のほう」家族の会話で出てきた重要そうなワードたちだ。

盗るものが無いということは、「私」が空き巣に入ったと仮定して、チズさんのところに居座る理由がない。つまり、目的は金銭などでは無いということだ。

米寿は八十八歳。米という字を分解すると「八十八」になることからそう言われている。つまりチズさんはかなり高齢である。

「お供えもの」この話ででてきたのはカステラだが、家族がそんなに頻繁に来るとは思えない。つまり、カステラは家族が供えたものでは無いと考えるのが自然だろう。じゃあ誰が?

松江は島根県にある地名だと考えるのが自然だろう。みきおから見たもう1人の祖母と思われる。しかし千葉から来るとなると相当大変である。ではチズさんはどこに住んでいるのだろうか。それも明かされることは無い。押してあまり重要な要素では無い。

私の家に来るか、チズさんの足で1時間なら私の足なら徒歩10分。というふうになる。スーパーまで行く時間のことを考えれば「私」の6分の1のスピードで歩くと仮定できる。

父さんがいる。狭くて暗くて汚い。このセリフで主人公が男でないかというふうに思った。もし小説を書く時に、女性を演出したいなら「お父さん」とするのが分かりやすいと思うからだ。「父さん」ということで男なのではないかという確信を持てるように配慮されているのかもしれない。そして、「母さん」はいないのである。先程述べた「家族ごっこ」というのにチズさんという女性の他人を利用しているという動機にしてはそれなりに説明が着くのではないだろか。

真っ直ぐにたった。右手の指先が動く。このセリフが出るまで1周目を読んでいた私は右腕がないと思っていた。しかし、右手の指先が動くということで破綻し、左腕がないのかと路線を変更させられた。真っ直ぐに立つという表現は、横の軸の話だと思う。というのも、チズさんの年齢で腰が曲がっているのは普通である。それが背筋を伸ばすのは確かに真っ直ぐに立っていると言える。しかし、本文では左に傾くという表現があるので、これは横の軸において真っ直ぐになったということだ。腕があるかないかはさておき、「左」になにかがあるのは間違いないだろう。

千鶴さんの顔から笑顔が消え。みきおたちのほうをむく。ここの感情は幅がありすぎて結論をつけられない。「「私」から助けてくれ」「いままでみきおだと思ってたこいつは違うのか」笑顔が消えた理由が具体的には分からない、しかし、ネガティブな感情であることは確かだ。

結論のようなもの


ここまでの考察・私見をもとに、私なりの結論を述べよう。

ある日、父親と二人暮しで生活に困っていた「私」はある家に空き巣に入る。しかし、静かすぎて気づかなかったが、おばあさん(チズさん)が在宅中であった。幸い、おばあさんは寝ていた。ふとテーブルの上を見るとそこには「引き継ぎ帳」があり、このお婆さんがどうやら要介護者であり、ボケも始まっていることが分かった。「私」はこの状況を自分のために利用することにした。母親がおらず、家族の愛にも飢えていた「私」は、チズさんと家族ごっこを始めるのであった。

「私」は二重人格である。(これは考察では述べなかったが、こちらあみ子が発達障害の少女、ピクニックが虚言癖の女性という点を考えると、この主人公にも何かしらそういった問題があると考えたためである。二重人格というよりは、極端な二面性を持っているという解釈の方が正しいのかもしれない。)チズさんの家の台所を借り、簡単な料理として肉じゃがを作ってあげたり、空き巣で手に入れた金をチズさんに渡しているのは別の「私」である。

チズさんの米寿の誕生日、本物の家族が帰ってきやがった。だから、自分の家に連れて行って本当の家族にしよう。

というのが私なりの「チズさん」の設定だ。この作品は「私」の視点しか分からないのが情報を狭めており、それがこの物語の謎を呼び、惹き付けられ、何回も読ませるような作りになっている。途中で二重人格の件が出てきて驚いたかもしれないが、補足させていただく。おそらくこの物語のテーマは「二面性」では無いかと思う。一見介護をする良い若者に見えるが、万引きを企てたり、床を思い切り踏みつけるなどの一面も見られる。その延長線に「二重人格説」が出てきたというわけだ。父親だけの汚い家というので、酒飲みの親父に暴力を振るわれていた「私」が辛さから逃げるために別人格を作り出すというのはありえるだろう。

この考察を書いていて、また別の疑問が浮かび上がった。「私」って人を殺してません?おそらくは別の介護者を殺してその死体を畳の部屋の押し入れに隠してるのでは…………?

私以外に「チズさん」の考察をする人が出てくることを願うばかりである。


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