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真夏の九州うつわ旅・3日目(その3) ~ただいま、有田。麗しの今右衛門窯~


九州北部をめぐった「九州うつわ旅」の記録をしています。

3日目。唐津駅近辺をたのしんだあとは、奥唐津の「櫨ノ谷窯」を訪ねました。


そして今日の宿泊地、有田に入ります。




8月10日 雨が降ったりやんだり

奥唐津でしっとりと櫨ノ谷窯を見学したあと、私たちが向かったのは次なる宿泊地、有田。


雨はやんでいるけれど、どんよりした雲がたちこめている。
それでも、「ああ、有田に帰ってきたんだ」という あたあたかな感覚がじんわりと全身をめぐる。
有田出身でもなんでもないのだけれど、このまちに来ると「ただいま」と言いたくなる。それが私にとっての有田なのだ。

毎年恒例としているこの「うつわ旅」は、もともと有田を訪ねるための旅だった。
はじめの頃は、福岡や長崎の観光のついでのような形で有田を訪ねていたように思う。それが「ついで」では物足りなくなり、有田焼を観ることを目的として旅するようになった。

通ううちにどんどん愛着がわいてきて、えも言われぬ懐かしさを感じるようになった。これはきっと、心のふるさと というもの。
有田以外の九州北部のやきものの里もめぐることが多くなった今も、それは変わらない。


この日、有田に到着した頃にはもう夕刻になっていたので、あまりのんびりはできなかったのだけれど、それでも「深川製磁本店」や、「手塚商店」などをサーっと観てまわった。


写真は手塚商店さん。
たなかふみえ さんの作品は、いつも元気をくれる



そして、私が最もすきな窯元のひとつである「今右衛門窯」に向かった。( ”最も” すきな窯元を1つにしぼれない…。)
ここはじっくりと。


上段:昭和天皇御用品
中段:バカラと今右衛門窯のコラボ作品


今右衛門窯は、国の重要無形文化財なので、ここでちょっと、そのおはなしを。


* * *

― うつわのおはなし 「重要無形文化財」―

日本の重要無形文化財には、「陶芸」では11の団体または個人が認定されています。

無形文化財は,人間の「わざ」そのものであり,具体的にはそのわざを体得した個人または個人の集団によって体現される。
 国は,無形文化財のうち重要なものを重要無形文化財に指定し,同時に,これらのわざを高度に体現しているものを保持者または保持団体に認定し,我が国の伝統的なわざの継承を図っている。

文化庁HPより抜粋


保持団体
として認定されているのはたった3つ、大分の「小鹿田焼(小鹿田焼技術保存会)」、有田の「柿右衛門窯(柿右衛門製陶技術保存会)」そして同じく有田の「今右衛門窯(色鍋島今右衛門技術保存会)」です。
我が国の陶芸の、重要無形文化財3つの団体 全てが九州北部のやきものであり、うち2つが有田焼。どれだけ九州のやきものの「わざ」が優れているかがわかります。

そして、保持者(個人)としては8名の方がいわゆる「人間国宝」として認定されており、うちお1人が、十四代 今泉今右衛門 様です。
つまり、”今右衛門”は、日本の陶芸界でただ1つ(お1人)、団体と個人の両方が無形重要文化財に認定されているのです。
十四代が人間国宝に認定されたのは、陶芸界で史上最年少の53才のときでした。

* * *


その今右衛門窯。さすがに、驚くような技術。



こちらの花器の絵柄は、精緻でうつくしく、観るたびに吸い込まれそうになる。

この花器の絵を描くには、約2週間もかかるという。
これだけ細やかな絵を描くにあたっては、わずかな体調の変化すらも影響してしまうそうで、万全のコンディションを保ちながら2週間集中し、文様の濃淡のブレもでないよう絵の具の溶き具合を微調整しながら、息を止めるように描き上げるのだそう。それでも、描くそばから絵の具の色は乾いて変化するから、最後に窯に入れて焼き上がってみないと、それが成功したのか否かはわからないという。それはそれは大変な作業だ。

有田では歴史的に「分業」で作陶されてきたのだけれど、今右衛門窯も例外ではない。うつわの文様は、今右衛門さまご本人のほか、絵付師(または絵師、赤絵師)と呼ばれる絵を専門に描く方によって施されている。(もちろんご本人の作品は区別されている。)
歴史的にみると、もともと「今右衛門」は、献上品「鍋島焼」の絵付師だった。鍋島藩の御用赤絵師として指名されていたのだ。
藩の厳格な管理のもと、伊万里の大川内山で焼かれたやきものは、たくさんの護衛に守られながら有田の「赤絵町」に運び込まれた。今右衛門窯があるのは、赤絵町1丁目1番地。伊万里から運びこまれれたうつわに 美しい絵を施したのが、今右衛門だった。
当時、この今右衛門窯の母屋には、鍋島藩の紋章入りの幔幕を張り巡らし、高張り提灯を掲げ、このお2階で絵付師たちが絵を描いていたという。


有田で最も歴史ある建物。


当時2階の窓から絵付師たちが絵の具を瓦屋根に捨てたため、今でも瓦屋根は赤く染まっている。弁柄と呼ばれる赤絵の具は粒子が細かいため、瓦に浸透したのだそうだ。青や緑の絵の具は粒子が粗くて、瓦は染まらないのだそう。(だから瓦は赤いんだ!)


今右衛門のうつわを観ると、なんとなく最先端の輝くような作業場でつくられているように思われるかもしれないけれど、さにあらず。歴史ある木造の建物で、今なお昔ながらの製法でつくられているというから驚きだ。

絵の具の調合も一子相伝で受け継がれ、現在は十四代が天秤ばかりで 計って調合されているのだとか。


この奥でつくられている。
窯に赤松の薪を投げ入れ、約1300度で炊き上げる。


この今右衛門窯は、私にとって、有田の中でも特別な存在。陶酔するとはこのことかしらって毎回思うほど、うっとりする。
最高峰の技術を誇りながらも、奥ゆかしさを感じるところが すきなのかもしれない。白い素地に白い文様を浮き上がらせる十四代の代表的技法「雪花墨はじき」などは、その最たるもの。
そのほかのものも全て、十四代 今右衛門さまの、穏やかで慎み深く、誠実なお人柄がにじみ出ているように感じる。


昨春のこと。私は個展会場で、ラッキーなことにお一人でいらっしゃる十四代に遭遇した。舞い上がった私はなんと、ぺらぺらと話しかけ、恐れ多くも人間国宝にいくつもの質問をなげかけてしまった。うつわのことになると、自分でも驚くような厚かましさと瞬発力を発揮してしまう私...。暴走しちゃったわけだ。けれどその1つひとつにとてもご丁寧に、ときにたのしく答えてくださる十四代に、いたく感動した。「私はこう思う」「こう願う」といった、ご自身の価値や作品に込めた思いまでお話しくださったし、私がはじめて聞くことばに「ん?」という顔をしてしまうと、ゆっくりと、かみ砕いてご教示くださる場面もあった。
たまたま有田に共通の知人がいたこともあったためか、驚くほど気さくにお話しくださり、そしておだやかに、大切にことばを紡いでくださった。
人間国宝という重責を担いながら、様々な形で発展する有田全体のやきものの姿を受け入れられ、「それが有田のいいところ」とおっしゃる。
私はバターになって溶けてしまいそうになりながら、尊敬の念をさらに深く強く抱いたのだった。
それ以来、私の今右衛門愛はさらに熱をおびちゃった。

ちなみに今春、今右衛門窯の社長さま(十四代のお兄さま)にもご教示頂ける機会に恵まれたのだけれど、社長さまも気さくに、惜しみなく、なんでも教えてくださった。
たとえば先述の、弁柄の粒子のことは、その時に教えて頂いたことだ。


出来上がった作品を鑑賞するとき、そこに至るまでのストーリーを知っているのとそうでないのでは、雲泥の差がある。私はまだまだ、知らないことだらけ。
だから、これからも時に「暴走」しながら、私なりに自らの好奇心に正直にありたいと思っている。


と、おしゃべりが止まらなくなってきちゃった。
今日はブレーキをかけて、ここまでにしたいと思う…。





3日目:8月10日(木)  台風が通り過ぎる。雨と曇りの繰り返し。
佐賀県唐津市「洋々閣」→「一番館」→「水野旅館」→「櫨ノ谷窯」→ただいま、有田。「今右衛門窯」でうっとり。


このあとは、有田の定宿へ。



ブレーキをかけるのが遅すぎて長文になりました…。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。





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