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うつわのおはなし ~その3.有田焼の歩み~

私は やきものが大すきです。

中でも有田焼に魅せられて、少しずつ有田焼にまつわることを知るようになりました。
(まだまだ入り口部分で足踏みしていますが。。)

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前回は有田焼の誕生のことを書きました。
今日は その後の歩みについて、ざっくりと書いてみたいと思います。

※後で記しますが、ここでは一般的な呼び方として「有田焼」と記します


有田焼の歩み

有田焼は、朝鮮人陶工・李 参平らの活躍により、今から約400年前に誕生しました。

その後、今では有田焼の代名詞と言っても過言でない柿右衛門(初代 酒井田柿右衛門)が、日本で初めて「赤絵」を始めました。
手間暇をかけて独自の手法でつくられる赤い絵の具によって絵付けされるものです。

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柿右衛門の赤絵をきっかけに、有田では複数の色を使う「色絵」が登場します。1640代のことです。
それまでの日本の やきものとは趣が異なる、繊細で色鮮やかなうつわの誕生です。

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その頃から 地元の鍋島藩は、徳川幕府へ美しいうつわを献上するために、有田の優秀な陶工を集めて製作にあたらせました。
厳しい管理体制のもと、品質保持と 徹底した秘密保持につとめながら、質が高く色彩豊かなうつわをつくり上げていったのです。

献上品で採算度外視だったので、より美しく より美しく、競うように磨き上げられたうつわは、
日本磁器の最高峰とも言われています。

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その美しさに魅了されたのは、日本人だけに留まりませんでした。

美しい有田焼はヨーロッパでも大ブームになりました。
あのドイツのマイセンは、有田の柿右衛門のように美しい磁器をつくりたいという熱意がきっかけとなって創設されたそうです。
日本から遅れること約100年でできた ヨーロッパで最初の磁器の窯が、マイセンです。

このように色彩豊かになった有田焼ですが、享保年間(1716~36)に倹約令が出された影響で、色絵が控えられるようになりました。
そこから幕末まで 染付などが中心となります。
染付とは大雑把に言うと、白地に藍色の模様が描がれたものです。

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またこの頃には有田焼は町民へも普及しました。
江戸の町にお蕎麦屋さんが たくさんできた時代。
とくに染付の和食器は、蕎麦猪口などの形で日常使いされるようになって、食文化を支える役割を果たしました。

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現在、有田焼と一口で言っても、柿右衛門様式や色鍋島(後述)と呼ばれる色彩豊かなものや、染付の藍色一色の柄もの、また白磁といって真っ白なものなどがあり、趣の異なるものが味わえます。

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“有田焼”の名前について

一般的に ”有田焼 ”と呼ばれているものは、歴史的に正しく言うと、違う名前になります。

有田で誕生した磁器は、当時、伊万里の港から各地に運ばれたので、積出港の名称をとって “伊万里焼”と呼ばれました。
過去形ではなく、現在でも伊万里焼とも呼ばれています。

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また、伊万里焼の中でも鍋島藩がつくった献上品は ”鍋島焼”と言います。
鍋島焼は1871年の廃藩置県で一度途絶えましたが、その技法は 今泉今右衛門家 によって復興され、今でも継承されています。
今右衛門窯の鮮やかな絵付けは「色鍋島」と呼ばれます。

"伊万里焼" や "鍋島焼"の他にも、違う名前のついているものが複数あり、私のアタマの中では こんがらがることがあるのですが、、、一般的には有田でつくられいる(またはつくられてきた)磁器を総称して ”有田焼” と呼んで良いようです。


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上の写真は、鍋島焼を復活させた今右衛門窯。有田最古の建物です。

江戸期、この2階の部屋で赤絵の仕事をしていたため、赤く染まった瓦に御用赤絵屋の佇まいが残っています。
『重要無形文化財 今右衛門 色鍋島の美』より

そして下の写真は、今右衛門窯の煙突。先日の旅行の際に撮ったものです。

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文政の大火

1828年に大火があり、有田は焼け野原になってしまいました。
その際に、昔からの文献も全部燃えてしまったので、有田の歴史詳細については、実は 定かではない部分も多いそうです。
有田焼の由緒ある窯元の支配人の方から 先日教えて頂いて、初めて知ったお話です。 

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私は浅瀬を泳いでいるだけですが、「実は定かでない部分もある」ことを知れたことは、良かったと思います。
やきものの歴史は奥が深く、媒体や人によって表現の多様性を感じます。
私の頭の中で 多少情報の整合性がとれなくなることがあっても、「実は定かじゃないものね」と、浅瀬をスイスイ泳ぎ続けられそうな気がしてきました。
大雑把な性格は、こんな時に都合が良いです。

今日少し触れた重要文化財「柿右衛門」や「今右衛門」については、有田焼の歩みを知ろうとする過程で、それぞれ個々の歴史や技術を興味深く思うようになりました。
歴史に裏打ちされた崇高な美しさは、双方独自の道を歩み、こだわりをもって受け継がれてきたものだと思います。

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でも今日はここでおいまい。
柿右衛門、今右衛門については、またいつか 別の機会にしたいと思います。

私には まだまだ知らないことがたくさんあります。
有田に限らず やきものについて。うつわについて。
これからも機を得て すこしずつ好奇心を探究してみたいと思います。

さて、次は何を書こうかな。

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*おことわり*
ここで私が書いている(知っている)ことは、きっと一般的な範囲に留まっています。
専門的見地からは表現などが正確でない部分もあるかもしれません。
気ままなエッセイのようなつもりで書いていますのでご了承ください。


*結局次は、柿右衛門と今右衛門について書きました。





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