うつわのおはなし ~その2. 有田焼の誕生~
私は やきものが大好きです。
中でも有田焼に魅せられて、これまでに何度か佐賀県の有田町に旅行していることは、前回触れました。
数年前に有田に旅行した時のこと。
地元のお寿司屋さんが、おいしいお寿司を握りながら、有田焼の始まりについて教えてくださいました。
朝鮮人陶工「李 参平」についてのお話です。
私はその時初めて 有田焼誕生のことを知り、とても興味を持ちました。
と同時に、それまで単に表面的にうつわを愛でるだけだった自分を、ちょっぴり恥ずかしくも思いました。
いずれにしても、有田焼に関する歴史的背景や技術など、知りたい欲求のスイッチが入った瞬間でした。
その後は、チャンスがあれば(あるいはチャンスをつくり)、陶芸家の方や 携わる方にお話を伺うようにもなりました。
歴史については、昔から大の苦手!の私ですが、有田焼のそれとなると とても知りたくなるのが不思議です。
「すき」の気持ちは波及して、自分でも思いもよらない場所を明るく照らすことがあるのかもしれません。
お寿司屋さんのお話をきっかけに、わずかながら知るようになった有田焼のこと。
前置きばかり長くなりましたが、今日は、有田焼の陶祖・李参平のことなど、有田焼の誕生についてのお話です。
やきものの概要
有田焼誕生のお話をするには、まずは“やきもの” 全体の概要を。
“やきもの”は、専門的には「陶磁器」と呼ばれています。
陶磁器は、大きく分けると「陶器」と「磁器」に分かれます。
その他に土器や炻器もありますが、一般的には、「陶器と磁器」の2つを指すことが多いです。
陶器は土(陶土)からできているので「土もの」、
磁器は石(陶石)からできているので「石もの」とも言われます。(※1)
有田焼は石からできた磁器です。
日本のやきものは、世界で最も長い歴史を持っているそうです。(※2)
1万年以上前の縄文土器から始まりました。
4~5世紀の飛鳥時代には、大陸から「ろくろ技術」と「窯」が伝来し、陶器の形成と焼成技術が進みます。
その後、大陸から釉薬の技術も伝えられ、日本のやきものは 中国からの影響を受けながら育ってゆきました。
戦国時代に入ると 茶の湯の流行などから 日本独自の発展を遂げ、その頃から全国で生産されるようになりました。
江戸時代に入ると磁器が誕生し、今日のやきものに繋がっています。
有田焼の誕生
先ほど書いたとおり、やきものは日本で1万年以上も前からつくられていました。
やきものの中でも磁器(石もの)が日本でできたのは、約400年前のこと。
初めて磁器がつくられたのが有田でした。
1590年代の 豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮人の陶工たちが有田に招聘されました。(※3)
その後、その中の「李 参平」という優秀な陶工が 有田の泉山で磁器の原料となる陶石を見つけて、日本で初めて磁器を焼くことに成功したのです。
そして、彼が率いる陶工たちにより大陸の技術が 有田の町に伝播しました。
また、佐賀県ではそれ以前から「唐津焼」という陶器(土もの)の生産が盛んで、焼造の基盤があったことも、有田で磁器が誕生した要因になりました。
焼造の基盤の存在、朝鮮人陶工の招聘、陶石の発見が重なったのですね。
ところで、昨年NHKの「ブラタモリ」で、2週にわたり有田焼について放映されたことがありました。
私は それはそれは真剣に見たわけですが、番組では、有田焼が誕生した背景を、ブラタモリらしく地形の観点からひも解いていました。
▫︎ 陶石(泉山磁石場)があったこと。
▫︎ 川底に、陶石を砕くための唐臼に適した堅い岩盤があったこと。
▫︎ 登り窯に適した傾斜地がたくさんあったこと。
という、地形的な条件がそろっていたからだそうです。
また番組によると、泉山に陶石ができたのは、近くに火山があったお陰とのことで、粘土質の土の上に 流れてきた溶岩が覆いかぶさり、蒸されたことによって良質の陶石ができたそうです。
[NHK『ブラタモリ』2018.10.20・27放映の内容より]
(写真は、私が有田旅行の際に撮影したものです。)
先日 有田の陶芸家の方に伺ったお話によると、陶石が溶岩に蒸されてできたという経緯は、お仲間の間でも 知らなかったと話題になったそうです。
素晴らしきブラタモリ!
少しお話が飛びましたが、こうして 人財、技術、地形、環境など複合的な要因 が重なって誕生した有田焼は、その後、日本を代表する、というより世界を代表するやきものへと成長していきます。
追伸
現在、有田焼の陶祖・李 参平の住居跡には、私が大すきな「李荘窯」さんがあります。
先日の旅行では、長時間にわたりお邪魔しました。
*おことわり*
私が書いている内容は 一般的な範囲に留まっています。学問的には正確でない部分があるかもしれません。
たとえば
(※1)陶磁・磁器の分類については、専門的には 原料の成分や焼成温度などにより線引きが変わることがあるようです。
(※2)2012年に、縄文土器よりも2千年以上前の土器片を 中国・江西省の洞窟遺跡で発見したと、北京大学や米国などの研究チームが発表しています。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2803Y_Y2A620C1CR8000/
それまではずっと、日本の縄文土器が世界最古の器であると考えられてきました。
中国で発見されたものは、土器片に付着した有機物などから年代を特定したそうなのですが、その信ぴょう性については一部疑問視されているようです。あまりに昔のことなので、簡単にはわからないのでしょう。
少なくとも、日本においては現在でも、「縄文土器は世界最古」と表現している方が多いように私は見受けています。
ですので私も現在のところ、そう言い続けています。
土器は、人類が「無から有」をつくりあげた代表格とも言われていますので、双方が‟自国が一番“だと信じたいのかもしれません。
縄文土器は、いずれにしても‟世界最古級“であることには間違いなく、日本全土に普及したという意味でも世界に誇れる文化だと思います。
(※3)陶工は「連れ帰られた」などの表現の方が、歴史的事実に近いのかもしれません。敢えて「招聘」を使いました。
気ままなエッセイのようなつもりで書いていますので、ご了承ください。