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うつわのおはなし 〜その4. 柿右衛門と今右衛門 〜


うつわのおはなしを書くのは、とっても久しぶりです。
前回「その3.」を書いたのは 昨年10月でしたから、半年以上の月日が経過してしまいました。
当初は無理ない範囲でコンスタントに綴っていこうと思っていたのに、こんな感じになってしまうなんて。。
自分でも気まぐれにもほどがあると思いますが、これも私のペースなのかもしれません。
今回は、ちょっとしたことがきっかけで 久しぶりに書いてみたくなりました。
そのきっかけは最後に。  


今日は、有田焼の中でも二大巨頭といっても良い(と、私は思っている)柿右衛門今右衛門についておはなししたいと思います。
この2つの窯元は、歴史と伝統に裏打ちされた美を誇り、それぞれ国の重要文化財にも指定されています。(後述)
有田焼を代表する窯元ではあることは間違いありません。
でも、数ある素晴らしい窯元から、なぜこの2つを選んだの?と聞かれたら、それは私の好みの部分も大きいかもしれません。
有田に旅行へ行った際には 必ず初日に訪れる、憧れの窯元です。

柿右衛門今右衛門の作品については、リンクをご参照ください。
(※ちなみにタイトル画像は、いずれのものでもありません。有田焼の中でも、これまた私が大好きな李荘窯さんのものです。)


柿右衛門、今右衛門のおはなしの前に、
久しぶりに書いている自分のためにも、前回までのおさらいから少し。

有田焼の誕生

有田焼は、今から約400年前に、日本で初めて誕生した磁器(石もの)です。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に出征した肥前領主・鍋島直茂が、朝鮮から日本に連れてきた優秀な陶工により、有田の地に大陸の技術が伝搬し、有田焼は誕生しました。その陶工の名は、李 参平といって、有田焼の陶祖と言われています。
有田に磁器が誕生した背景には、李参平らの人財や技術と併せ、有田の地形や環境など複合的な要因 が重なっていました。そのことは、”うつわのおはなし その2.” でおはなししています。

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様々なことが結び合って、あの素敵なやきもものは生まれたのです。

そうして誕生した有田焼は、その後、日本を代表する、というより世界を代表するやきものへと成長していきました。


世界に羽ばたいた柿右衛門と、鍋島の伝統を守り抜いた今右衛門


ここからは、一部 前回までのおはなしを交えながら、柿右衛門と今右衛門についての おはなしを始めてゆきたいと思います。

❏ 柿右衛門
有田焼と言えば、たぶん一番有名なのは、柿右衛門でしょう。
有田焼をご存知ない方も、「柿右衛門」という名前は、耳にされたことがあるかもしれません。有田焼の代名詞と表現する方もいます。

初代 酒井田柿右衛門は、日本で初めて「赤絵」という上絵付の技法を開発しました。1640年代のこと。独特の”赤”を生み出すことで、それまで青しかなかった磁器とは趣が異なる、繊細で色鮮やかなうつわのが誕生したのです。

初代 柿右衛門は、「柿右衛門様式」と呼ばれる様式を確立しました。柿右衛門様式とは、「濁手(にごしで)」と呼ばれる純白の素地に、十分な余白を残しながら、その美しい”赤”で絵付けを施したものです。
赤の色は、柿右衛門を象徴するもの。柿右衛門は、その様式を現代に伝える由緒ある窯元です。
また、その白い素地「濁手」は、国の重要無形文化財に総合指定されています。

柿右衛門様式で描かれた繊細で絵画のような器は、人々を深く魅了しました。
柿右衛門は有田の地に留まらず、日本国中へ、海外へと羽ばたいていきした。
国内でも、ヨーロッパでも、その美しさは高い評価を得ることとなったのです。
ドイツのマイセンも、柿右衛門のように美しい磁器をつくりたい、という熱意がきっかけで創設されたそうです。

柿右衛門様式の技法は代々受け継がれ、現在、十五代 柿右衛門はその伝統を守りながら、新しい世界を切り開かれています。


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こうして有田焼の名は、柿右衛門のおかげで世界に広がっていきました。


❏ 献上品としての有田焼
一方、有田では1640年代から、地元の鍋島藩が、美しい器を徳川幕府へ献上するようになりました。
献上品の制作にあたり、鍋島藩は有田の優秀な陶工を集め、質が高く色彩豊かなうつわをつくり上げていきました。(”うつわのおはなし その3.”)
鍋島藩の献上品は総称して「鍋島焼」と呼ばれ、一般庶民に流通する焼き物とは明確な差別化が図られていました。お殿様に捧げるための特別なものだったのです。
献上品が故に 採算度外視で、より美しく、より美しく、競うように磨き上げられた鍋島焼は、日本磁器の最高峰と言われるようになるまで成長を遂げました。

鍋島藩はその美しい鍋島焼を作るため、品質保持と 徹底した秘密保持につとめ、とても厳しい管理体制をしいていました。
最高の技術を持った職人たちは、鍋島藩により生活を保障されながらも完全に隔離され、外部との接触を断たれたのです。
また少しでも失敗した作品は、小さく砕いて土の中に埋めたそうです。
カチンと真っ二つに割って放り投げでもしたら、そこから技術を盗もうとする人がいたということなのでしょう。
質が高く色彩豊かなうつわは、そうやって守られ、発展して行きました。

❏ 今右衛門
その献上品「鍋島焼」の製造工程は、分業体制で行われていて、各工程ごとに専門の職人が行っていました。
今右衛門家は、上絵の絵付けを担当していました。当初は“窯元”ではなく、絵師だったのですね。高い技術でつくられる赤絵の具を使って絵付けをする「赤絵師」です。
鍋島藩は 11軒(のちに16軒)の赤絵師を指定し、赤絵町の一か所に集めて保護していました。今右衛門家はその代表格でした。
現在も、今右衛門家の目の前の住所は、「赤絵町1丁目1番地」。
当時の様子を物語っています。

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そして現在も、今右衛門家の瓦屋根には、江戸時代当時の赤絵の具の跡が残っています。二階で絵付けをされる際に、技師が絵の具を瓦の上にこぼしたものだそうです。
有田最古の建物です。
私はその佇まいも大すきで、今右衛門家の玄関前で撮影させて頂いた写真をFacebookのカバー写真にしています。

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私の写真などはどうでもよいことでした。。

先ほどおはなししましたように、今右衛門家の赤絵師も、そのエリアから外に出ることはありませんでした。技術の秘密を保持しながらひたすら美を追求し、美しい器をつくりあげていったのです。

鍋島藩 御用窯の歴史は、1871年の廃藩置県によって幕を閉じたのですが、鍋島焼の技法と伝統は、今右衛門窯によって、復興・継承され、今に至っています。今右衛門は、鍋島藩の御用赤絵師の家系として、「色鍋島」の伝統を今に伝えているのです。

「色鍋島」とは、鍋島焼の様式の一つです。その他に、「鍋島染付(藍鍋島)」、「鍋島青磁」のなどの様式があります。個々の説明については、今日は割愛させてください。

「色鍋島」伝統の美を受け継ぐ今右衛門は、国の重要無形文化財保持団体の認定を受けています。
また現在の第十四代 今泉今右衛門は、個人としても人間国宝でいらっしゃいます。
赤絵の調合・技術については一子相伝の秘法として、代々伝えられているそうです。

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「柿右衛門様式」を背負って世界へ羽ばたいた柿右衛門と、有田の地で頑なに「色鍋島」の美を守り抜いてきた今右衛門。
人間に例えると "生き方” の違いとでもいうのでしょうか。
いずれも国の重要文化財指定団体として、有田焼の伝統美をつくり続けている窯元ですが、この歴史を知ってみると、それぞれ双方が独自の道を歩み、こだわりをもって受け継いでこられたものだということがわかります。
崇高な美しさは、それぞれが歩んだ歴史に裏打ちされているのでしょう。
熱意やプライドが静かに漂う感じも、素敵です。


素地の色について

ところで、私はこれまでに訪れた有田旅行で、大奮発してお迎えした器があります。

柿右衛門、今右衛門それぞれの、とっくり・お猪口セットです!
(私にしては、大奮発なのです。)


こちらが柿右衛門。

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そしてこちらが今右衛門。

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写真は少し横着をして、それぞれ旅行から持ち帰った時に撮影したものを使っていますので、その日の天候等により部屋の明るさが異なってしまいました。
ですが、うつわの色は、上から見た写真で比較できますでしょうか。

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上の柿右衛門は、地の色が真っ白。下の今右衛門は少し青みがかかっています。

柿右衛門の器は「余白の美」とも言われ、透き通るような美しい白に大きな特徴があります。先ほどおはなししましたとおり、この純白(よく“乳白色”と表現されます)の素地「濁手」は、国の重要無形文化財に指定されています。
透き通るようです。
朱色の柿が、慎ましくも存在を主張しているように観えます。

一方、今右衛門は青みのある釉薬に特徴があります。
今右衛門は「色鍋島」の言葉に象徴されるように、柿右衛門と比較して色の数も多く、また色をつかっている面積も大きいように思います。この青みがかった素地だからこそ、どこか奥ゆかしく品のあるうつわに仕上がるのです。
もしも柿右衛門のように真っ白な地の色にこの絵を乗せたとしたら、雰囲気は少し違ってしまうでしょう。

どちらも大すきです。
こんなことをしているとお財布は軽くなっていくのですが、眺めるたびに「お迎えして正解!」と思ってしまう私です。


今日のきっかけ

今回、この うつわのおはなし を 久しぶりに書こうと思ったきっかけは、少し前にFacebookで「7日間ブックカバーチャレンジ」なるものにトライしたことにあります。
これは、読書文化の普及に貢献することを目的としたチャレンジで、好きな本を1日1冊、7日間投稿するというものでした。

本の選択の過程では、もちろん有田焼の本も候補にあげました。
他にも迷った本が複数あり、結果的に7冊には残らなかったのですけれど、有田焼についても自分と対峙する時間を持つことができました。

当初、有田焼関連の本から何か1冊をアップしようと思ったとき、柿右衛門?今右衛門?それとも古伊万里?など迷いました。

考えた結果、私は一度、「今右衛門にしよう!」と決めたのです。


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柿右衛門も今右衛門も大好きだけれど、そして、どちらが より好きなのかなんて、今まで天秤にかけたことなんてなかったけれど。こんな時には今右衛門を選ぶ私がいるのだということがわかったのは、収穫だったような気がしています。
その時により 気分は変わるかもしれませんが、“今の私” が選択したのは、世界へ羽ばたいた柿右衛門よりも、有田の地で技術を守り抜いた今右衛門だったということ。
7日間ブックカバーチャレンジは、おもしろかったです。


さあ、私が次にうつわのおはなしを書くのはいつになるのでしょう。。
気ままに。でも 蓄積が欠けることのないように、書いていけたらと思います。

長くなりました。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました!


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*おことわり*
ここで私が おはなししている(知っている)ことは、きっと一般的な範囲に留まっています。
専門的見地からは表現などが正確でない部分もあるかもしれません。
気ままなエッセイのようなつもりで書いていますのでご了承ください。
また、何かありましたら教えて頂けますと嬉しいです。



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