見出し画像

身勝手にも種類がある!

SNSどころか、スマホもネットもない昭和の時代…

学校で喧嘩したり仲が悪くなった友達に謝る為、校門や駅で待っていたことがありました(彼女は部活で遅くて、会えなかった)。

待ち伏せは…今ならストーカーと疑われるかもだけど。
当時は普通だったんです。

つまりは時代の風潮や空気感によって、人の感じ方は違うということ。

地元の浅草で、中国の旅行者が(最近はマナー良くなったけど…)大声で話して、歩道を横並びで歩くことに、数年前は苛々してました。

でも、中国人ダンサーの友達に聞くと…コソコソ話ししてる様に思われない為に、わざと大声で話してると聞いて「なるほど!」と思いました。

もし私が海外に行ったら、その国の風習を理解すべきで…
それが出来れば、より過ごしやすいでしょうね。

人のココロは常に移ろうもの。
そして脆いもの。

悪意が無くても傷ついたり、傷つけてしまったり…そんな現実は日常に溢れています。

女性もきっと…
カッコ良い男性に服や髪を褒められたら嬉しいけど。

嫌いな男性に褒められたら、嫌がらせやハラスメントに感じたりするでしょ?

同じ行動でも、受け取る側の感じ方次第。

受け取る側が不快なら、それが全て正義か?というともちろん違うわけで…要は相手との心理的距離感によるのでしょう。

もし自然派のヒッピーが風呂に入らないとか、髪を洗わないとか…
そこまででなくても、例えば鼻毛ぼーぼーだったりしたら?笑

本人が自然派を心地良いと感じるのは良いとして…

周りが不快に感じてしまったら、自然派というより身勝手派ですよね?(無自覚な場合は救いあり)

その身勝手さに歪んだ正義感が加わると、攻撃的なエコロジストになるわけです。

好きで自分がベジタリアンなのは、何の問題もない身勝手。

しかし他人の肉食を否定したり、自分の考えを押し付けたりしたら…あまりに迷惑な身勝手です。

身勝手にも種類があるということ。

もし武道が好きだとして、自分の流派に誇りを持つのは素敵です。

だからといって、他流派を否定したり口撃するのは…武道家以前に、男らしくありません。

例えば剣術が素晴らしいのと同じく、剣道だって素晴らしいと思うし、それを比べるのはナンセンス。

古語と現代語のどちらが優れている…なんてあり得ないし、あるのはどちらが好きか?という好みだけ。

でもね…好き嫌いという価値観にこだわりが強い人達の中に、どうもマウント体質の人が一定数いるのも事実。

マウント体質の人種は、言い換えるとサイコパスなんです。

広い視野でモノを見れないから、小さな池の主になりがち。

武道やダンス、整体やトレーニング、食事法や健康法も…探求心がある人こそ陥りがちな心理がこれ。

私が最近コラボしている方々は、共に普遍的真理を目指して、価値感を共有出来る人ばかり。

自分の流派の優位性を示す様な人(つまり小さな池の主)とは、価値的なコラボは出来ませんから。

だいたい池の水って澱みますからね。澱んだ環境にいると、無意識で自分も澱むわけで…

広い海で生きる方が、リスク以上に得るものが多いんです!

海を宇宙と言い換えても良いけど…ココロの世界を狭くするか、広くするか?ということ。

私にとっては広い方が断然楽しいし、いつも刺激満載で、若々しくいられますからね。

池の主は逆で、常に恐れを抱くから池を出ないし、池の住民を囲い込む…

やがてカルト化して、苦しみのループから抜けられないのが現実。

まあそんな大袈裟じゃなくても…先程書いた自然派ヒッピーや、流行りのおしゃれを楽しんでいる人達だって。

本人が幸せで、周りを不快にしなければ良いということ。
要はバランスなんです。

そうしたココロのバランスは人相に表れるので…中高年こそ鏡を観て自分を知りましょうね。

いざ!自分磨き!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?